悪魔と踊れ  1 



「ああああああ……………っ」
 悲鳴が広場にこだまする。
 積み上げられた薪の上、太い杭に縛められた十台半ばほどに見える少年が、空を見上げて、泣き叫ぶ。
 短い栗色の髪が、上昇気流に煽られて、まるで、黒々とした炎のように、顔の周りで揺らいでいる。
 ぱちぱちと音をたてる薪からは、煙が立ち上り、そこここから、いまだ丈低い炎が顔を覗かせ、趣味の悪いダンスを踊っていた。
 身をよじり、涙を流し、それでも、少年には、逃れるすべはない。
 全身のいたるところに苛烈な拷問の痕跡が残されるからだは、おそらく、鎖に縛められることで、かろうじて、立つことができているのに違いない。
 潰された喉からは、押し出されるような悲鳴がでるばかり。流れる涙すら、痛みにつながっていることだろう。少年は、本能的な恐怖に、全身を焼く苦痛に、捕らわれ、逃れられずにいるのだ。
 悪魔と契ったってさ。
 魔女だって。
 腰骨のところに、ドラゴンの羽の痣があったってよ。
 ひそひそと、恐ろしそうに、面白そうに、火刑に処される少年を見上げては、ささやきかわす群集に、慈悲の色は、見当たらない。
 なぜなら、少年が、流れの民のだったからだ。粗末な馬車に家財道具一式を積み各地を放浪し、祭があれば、その地で出し物をして日銭を稼ぐ。漂泊の民は、土地に根ざす教会の教えから、遠いところに存在した。
 だから、そのひとりが魔女として断罪を受けるのに、容赦はいらない。いっそ一人だけではなく、全員の火刑が迫力だったろうと思うほどに、他人ごとの、見世物感覚のほうが強い。
 つい数日前まで少年たちが町外れで見せていた見世物と、さして変わりのないものでしかないのだ。違うのは、人の命が懸かっているかどうかということくらいであり、出し物であるのなら、人の命が懸かっているほうが、より迫力があって面白いのに違いない。人々は、固唾を呑んで、少年がじりじりと火で焙られるさまを眺めていた。



 少年の名前は、ラウルといった。
 栗色の髪に明るい琥珀色の眸の少年は、その象牙色の肌から、どこか異国の血を引いているのだろうと思われた。もっとも、肌の色に関しては、漂泊の民の特徴でもあったから、彼らの間にいる限り、それは、少しも、特別なことではなかった。ただし、ラウルの肌の色は彼らよりは明るく、肌の質は、彼と双子の兄弟であるジュールを除き、彼らの誰よりも、肌理が細かかった。
「いいかい、ラウル。人前で服を脱ぐんじゃないよ」
 腰に手を当てて、ラウラが、諭す。
 スカーフで束ねた赤毛が、揺れる。
「わかってるって、姉さん」
「ジュールも、自分たちのことなんだから、気をつけるんだよ」
 ラウルと同じ褐色の髪の少年が、
「姉さん、ラウルに過保護過ぎだって」
と、苦笑をこぼした。
「わかったら、いっといで」
 ぱしんと二人の背中を叩いた。
 森の中の空き地で、彼らは、一夜を過ごすことにした。
 まだ日は高い。
 しかし、この日のうちにこの森を抜けられるかどうかは、心もとない。
「ラウラ、こっちをてつだっとくれ」
 母親の声に、ラウラは朗らかに答えた。
「なんでいっつもオレたちだけ。不公平だよな」
 シャツの袖をまくりながら、ラウルがぼやく。
「しかたないって。俺たちの背中になにがあるか、知ってっだろ」
「うん。けどさぁ、川遊びするくらいいいと思わないか?」
 こう暑いとさ。
 空を仰ぐと、針葉樹の細い葉の奥から、金の雨が降り注ぐ。
 雨のような日の光に、ラウルの栗色の髪が、金粉を帯びたように輝いた。
  「ひとがいなけりゃな」
「けち」
 頬を膨らますラウルに、ジュールが笑う。
 少年たちの笑い声が、森の奥に明るくこだました。

 ささやかな馬車を背に石で囲った囲炉裏に火をつけ、鍋をかける。
 馬車のひさしにぶら下げていた野菜を数個切り刻んで、入れた。
 木のへらでかき回していると、背中にしょった赤ん坊が、泣きはじめる。
「はいはい。おっぱいだね。ちょっとお待ち」
「母さんごめん、鍋見ててくれる」
 赤ん坊を下ろして、ラウラは、ブラウスの前をくつろげた。



 嵐が近いことを、空が告げていた。
 司教はひとり、馬を走らせる。
 森の中での野宿など、とんでもない。
 唸り逆巻着はじめた風が、ひとの怨嗟の声めいて聞こえ、司教の背中を冷や汗が撫でた。
 従者が止めるのも聞かず、司教は、馬に鞭を当てる。
 僧服が、風にひるがえる。
 雷が、空を引き裂き、司教の耳を聾した。
 馬が後ろ足で立ち、もがくように空を掻く。
「うわっ」
 馬から振り落とされる。逃げる馬を追うことすらせず、ぬれねずみの司教は、とぼとぼと、風の中を歩きはじめた。
 どれくらい歩いたのか。
 目の前に、みごとな城館が、現われた。高い塔を従え、黒々とシルエットが空にそびえていた。
 オレンジの明かりが、城館に人が住むことを教える。
 司教は、扉にやっとのことでたどり着き、黒い鉄のノッカーを握り締めた。



 ろうそくの炎がかすかに照らすだけの質素な一室で、ひとりの女性が、ひざまずいて祈りをささげていた。
 その姿から、女性が、尼僧であることが見て取れる。
 一心に壁にかけられた十字架に向かい額づく女性は、背後に近づく影に気づくことはない。
 ただ、十字架の左右に据えられた一対の炎が、ゆらゆらと、はためいていた。



 黒と金と白の豪奢な廊下に、マントの赤い裏地がひときわ鮮やかにひるがえる。
 突然現われた男に、頭を垂れて礼をとるのは、大小さまざまな異形である。
 その中に、目を惹く端正な姿があった。
 漆黒の髪はつややかに白皙の面を引き立たせる。すっきりと冷ややかなまでの美貌の中、ひときわ目を惹くのは、金色のまなざしと、鮮やかな朱唇である。ゆったりと口角をもたげ、
「お帰りなさい父上」
と、腰を折る。
「ユージーンか」
 まだ少年らしさの残る第一王子に、闇よりも深い黒の目をかすかに細めたのは、魔王である。
 森羅万象、異形と謗られる者たちを統べ、守り、裁く。慈悲深く、気高い、そうして同時に冷酷の、王だった。
 ついと息子の細い頤を持ち上げ、
「遠からず、我が子が増える。それを、お前に与えよう」
 ユージーンの金の眸が、珍しく驚愕に見開かれた。
「対となすもよし。喰らうもよし。いずれ、お前の役に立とう」
 周囲の異形が、ざわめく中、王は王たる笑いを響かせながら、廊下を奥へと消えていった。



 ひときわ大きな悲鳴の後に、頼りない赤子の鳴き声が聞こえだす。
 当惑に顔を見合わせるのは、いずれも、尼僧たち。
 赤子を産み事切れた尼僧は、彼女たちの誰よりも、気高く信仰心にあふれたものだった。
 その彼女が産み落とした男の赤子を見て、誰一人として、動くことができない。
 赤い肌も、栗色の髪も、握り締めた手すら、いとけないほどの存在に、しかし、その仕打ちができたのは、信仰心の故であったろう。
 腰骨の上、くぼんだ箇所に、灼熱に熱した鉄を押し当てる。
 赤子が、ひときわ激しく泣き出した。
 もう一度。
 そう。赤子は、ふたりいたのだ。
 事切れた尼僧が産み落としたのは、よりにもよって、双子だった。
 赤子の背に禍々しく刻みつけられたのは、紛うことない、魔女の烙印。――――ドラゴンの一対の翼だった。
「汚らわしいものを、尼僧院になど置いておけません」
 吐き捨てるように言ったのは、年かさの尼僧である。
「院長さま」
 尼僧たちが、頭を下げた。
「ではどうしろと」
「捨てるのです」
 院長の言葉は、神の次に絶対である。
 布にくるんだ赤子を、院長が、尼僧見習いに手渡した。
「いいですね。誰にも知られず、捨てるのですよ」
 尼僧院から赤子など、とんでもない醜聞である。――絶対にありえないというわけではなかったが、禁を犯し、神を裏切った尼僧には、それ相応の処罰が。そうして、堕胎もならず生まれた赤子は、ひそかに、尼僧院から出されるか、処理され、裏庭に埋められる。
 裏庭に埋めることすら厭ったのは、赤子が双子であったことと、院長が、死んだ尼僧の信仰を信じていたからに他ならない。
 彼女が、神を裏切るはずがない。彼女は、俗世すら知らない、誰よりも清らかな、この尼僧院の申し子であったのだ。僧院の外にでたことすらない彼女が、どうして、子を孕めるだろう。また、この僧院は、外からの進入に鉄壁を誇っている。
 だから、この赤子らは、ひとの子ではないのだと。
 ましてや、神の子などでは、決して。
 であれば、汚らわしい、悪魔に、かの尼僧が犯されたのに違いないのだと。
 だからこそ、そのようなものを、殺すことすら恐れたのだ。
 災厄が尼僧院に降りかかることを避けるため、院長は、心を、鬼にしたのだった。



 異形のものたちが住まう異界――魔界であれ、月も巡れば、太陽も昇る。
 ユージーンは星々を見上げ、気だるいからだをもてあましていた。
 おそらくは、成長期の終わりが来たのだ。
 最後の段階を駆け上るために、冬が訪れる。
 冬をすごさなければ、成人とはいえない。
 冬――それは、魔界においての成長期のものにとって、眠りの季節である。死にも等しい長い眠りの果てに目覚めた時、ユージーンは、大人として復活する。
 個人差のある永い眠りのさなかに、いくたりかの王子王女が、命を落とした。目覚めることのなかった兄と姉。いまや、彼のほかに、純血の魔王の子はいない。
 その彼のために、王は、混血の子をもうけたのだ。
 ユージーンのためだけの。
 混血の子は、純血に比べて、生命力が、段違いに強い。それは、執着心が強いということなのだろう。常に倦怠をもてあます純血の魔物に比べて、他で劣っているからこその、執着なのかもしれない。それは、その血に、からだに、精神に、孕まれる。だからこそ、魔王は、父は、ユージーンに与えるのだ。
 守り――の存在を。
 肉を喰らい、その執着を身に着けるもよし。
 対となして、目に見えない守護を受けるもよし。
 父の愛情を確かに感じ取り、ユージーンは、掌を見つめた。
 青白く輝く月の光が、掌に、降り注ぐ。
 月光の鏡を覗き込めば、そこに、尼僧の姿があった。
 寝台がひとつあるきりの、狭い部屋の中、床に跪き、神に祈りをささげる姿からは、清冽なばかりの信仰が、あふれだしている。
 しかし、信仰とは反対に、その迫り出した腹に、違うことのない、魔王の血を感じ、ユージーンは、かすかに口角を引き上げた。  清冽ではあれ、自分たちの信じる神のみを絶対として、以外は迫害する。その狂信を嘲笑うかのように、鮮やかな朱のくちびるが、月光の鏡に息を吹きかけた。


to be contenued

up   19:11:11 2008 08 16
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