魔神と刀鍛冶




「なぁ、これって絶対変だよな!」
 幼馴染のゆうに向かって、いづみが主張する。
「そうだね」
 にっこりとほほえみがえしするゆうは、いづみとおなじ歳には見えないくらい大人びている。それもそのはず、ゆうは二年前に嫁いで、今ではこどもが一人いる。
 幼馴染の結婚と出産とをいづみは誰よりも喜んだが、淋しさもあった。
 一人だけ取り残されているような、不安だった。
 そう。
 いづみも十七才。
 この時代、こどもの一人や二人いても、なんらおかしくない年齢である。
 なのに、いづみを育ててくれた祖父は、いづみに縁談の話を持ってはこない。
 頑固だけれど、大好きな祖父だ。
 刀鍛治として、この国の領主に、重用されている。
 口さがない近所のものたちが、『よっぽどの玉の輿を狙ってるのだろうよ』などとささやき交わすていどには、持ち込まれている縁談があることをいづみは知っていた。
 目の前では、ゆうがまろやかな白い胸を出して、赤子に乳を与えている。
 なぜだか胸がドキドキして、正視していられなかった。
「いいよなぁ」
 喉にからんだ声で、いづみが、つぶやいた。
「なにが?」
「ゆうの胸の半分くらいでもいいから大きくなんねーかなぁ」
 いづみはぼやかずにはいられなかった。
 自分の胸は、悲しくなるくらいぺったんこなのだ。
 少しのふくらみすらない。
 裕福な家の女性ということもあって、いづみは家からはあまり出ない。が、それでも、女性の胸は膨らむのが普通だということぐらい、知っている。
「これじゃ、こどももそだてらんねーじゃん」
 そのひとことに、
「あっ。いづみちゃんったら、好きなひとができたのね」
 ゆうの目がきらきらと輝いて、いづみに向けられた。
「だれ? わたしの知ってるひと?」
「いねーって。ただ、さ、オレだって結婚してたっておかしくねー歳なんだしさぁ」
「なんだ。おじいさままだ、いづみちゃんに縁談持ってこないの?」
「ああ。このままだと、オレ、かんっぺきいきおくれだぜ」
 あーあと、頭の後ろで手を組み、いづみはそのまま板の間に寝転んだ。
「行儀悪い!」
 静かになった部屋に、鍛冶場でいづみの祖父が刀を鍛えているのだろう音が聞こえてくる。


 その時のいづみは、まだ、なにも知らなかった。



◇◇◆◇◇



 阿賀国(あがのくに)を見下ろす上見山(じょうけんざん)には、魔物が棲んでいる。
 遠い中国から日本に伝わった山水画めいた峨々(がが)たる峰々は毒を吐き羽をもつ蛇の住処だと、ひとびとは信じて恐れていた。
 たくさんの蛇、うわばみが棲む山である。「上」を「見」ると書いて「じょうけん」と読むのは、当て字の読み間違いだ。むかしは、「うわばみの山」とそのものの呼びかたをしていたのが、いつしか「うわばみ」が「うわみ」へと変化し、「上」と「見」の字をあてた。あてた漢字のせいで、やがては「じょうけん」へと変遷したのだと、物知りの古老は昔語りのついでに語る。

 上見山の主、鷹巳は、その日遠来の客を迎えていた。
「不機嫌そうですこと」
 白皙の美貌の魔神と顔を合わせて微笑むのは、国をふたつ越えたところにある湖の女主(めぬし)である。
「退屈、なのかしら」
「あなたとおなじていどには」
「そうでしょうねぇ………。長く生きているということは、それだけ興味の対象が少なくなるということですもの」
「でも、あなたは先ごろ、興味を惹かれるものを見つけられたとか」
 鷹巳の黄金の質感を持つ瞳が、月白の湖(つきしろのみずうみ)の主に向けられた。
 青銀色のまなざしが、とろりとした鷹巳の瞳を受けて、ふふ……とやわらぐ。
「情報源は、どちらのおしゃべりスズメでしょう。見つけたら舌を抜いてやらなければ」
 赤く染められたくちびるが紡ぐのは、やわらかな声音とは不釣合いに物騒な台詞だった。
「こわいですね」
 冗談口だとわかっているからこその返しである。
「それで、ご用向きはなんなのです? その、興味を惹かれたものに関することなのでしょう」
「あら。つれないことを。少しは妬いてくださるかと思いましたのに」
「あなたと私の間で、なにを妬くことがあります」
「それもそうですわね」
 ふたり、顔を合わせたまま、クスクスと笑いを交わす。
 そのさまは、まるで仲のよい兄弟のようである。
 ひとしきり笑い交わしたあと、
「実が欲しいのですけれど」
 真摯な色を宿した、青銀の瞳が、鷹巳の瞳を覗き込んだ。
「……実ですか」
「ええ」
「しかたありませんね。あなたの頼みとあらば、聞かないというわけにもゆきませんから。でも、これは、秘中の秘ですよ。わかっているでしょう」
「ええ。ありがとう。わかっておりますわ」
「それで、あなたのお相手は、承知しているのでしょうね」
「もちろん」
「ひとを恋うとは、あなたも存外、物好きだったのですね」
「おっしゃいますこと。恋をするのに、ひとであるも、ひとでないも、そんなこと関係ないでしょう。……あなたにも。そう。遠からず、わかると思いますわ」
「それは、あなたお得意の、先見でしょうか?」
「ええ」
 艶然と微笑んだ湖の主に、
「それでは、その時を楽しみに待つといたしましょう。それでは、これをどうぞ」
 そう言って鷹巳が差し出したのは、一竿の簡素な釣竿である。
 竿にまとわりついているきらきらと輝く透明な糸は、目的がわかった後、喋っている間に湖の主のいのちの穂をわずかにこそぎ、細く捩り合わせたものだ。
「そこの窓から糸を垂らせば、あなたのいのちの光につられて、仙木の花首(せんぼくのはなくび)が一輪だけ釣れるでしょう」
 それを持ってこちらへおいでなさい―――と、鷹巳は告げ、薄物の帳の奥に姿を消した。
 独り残された板敷きの高殿の赤い欄干にもたれて、湖の主は下を眺めやる。
 魔神と呼ばれる存在にそんな症状はありえないが、高所恐怖症の人間なら眩暈を起こして吸い込まれそうな、はるかな高みに鷹巳の館はある。
 峨々と連なる岩肌のはるかな下に、林冠(りんかん)を見晴かす。
 わさりと繁った黒みを帯びた木の葉の重なり。ところどころにちかちか光りながら揺れているあれが、それでは仙木の花なのだろう。
 逸る鼓動を鎮めつつ、湖の主は、己のいのちの穂からつくられた糸を林冠へと垂らした。

「よろしくて?」
「どうぞ」
 湖の主の爪紅(つまくれない)に彩られた白い手の中には、丸い椀状の花の形をした青い炎が揺れている。
「これでよろしい?」
 差し出されたそれを受け取り、鷹巳が両手で包みこむ。
 目を閉じた鷹巳につられるように、湖の主も自然と黙祷(もくとう)する。
 薄物の帳に陽射しを遮られて薄暗い一角には、暫しの間、ひそとも音がたつことはなかった。
「どうぞ」
 鷹巳の静かな声音に、湖の主が青銀の瞳を開いた。
 鷹巳の手の中には、直径が一寸ほどの丸い実があった。
 花首とおなじ青い色を宿した実は、今にも崩れそうに見えた。
 恐る恐る手を伸ばす湖の主に、
「大丈夫ですよ。見場ほど脆いものではありませんから」
 そう言って、ころりと湖の主の手の中に移し込んだ。
「これで……」
「ええ」
「これで、あのこはわたくしと共に生きてゆける」
「使い方は、わかりますね。からだに馴染むまで、どれくらいか、眠りつづけることになると思いますけど」
「ええ。いいの。よくわかっていてよ」
 かすかに涙ぐんでいる湖の主に、
(そこまでひとを好きになれるものでしょうか)
 などと思いつつ、
(ああ、もうじき私にもわかると言っていましたね)
 湖の主の先見なら、それは疑うべくもないのだと、鷹巳は知っていた。



◇◆◇◆◇



「いづみ。おまえ何才になった?」
 食事の席で、ふと思い出したように祖父が訊ねた。
「十七だよ」
「十七か………」
 ふぅと溜息をついた祖父に、
「じいさま、どうしたんだ?」
 心配そうな孫のようすに、しかし、祖父は、
「いや。なんでもない」
と、答えるにとどめたのだ。いや、孫の、曇りのないきれいな瞳に、ことばをなくしたといったほうが、より正確だろう。
 刀鍛治一筋でやってきた祖父ではあるが、別段孫の存在を忘れていたわけではない。
 孫は、可愛い。
 今は亡いいづみの二親の都合で、女として育てられてきた孫である。その大半は、自分の不精のせいでもあるのだが――ふたりが亡くなったときに、すぐに性を正しておけばよかったのだ。――まぁ、孫はまっすぐに育ったと言ってもいいだろう。
 問題は、『おまえは男だ』と、いづみを本来の性に戻すことを忘れていたということだ。
 いづみ自身は興味がなく知らないらしいが、実を言えば、いづみは近在の若者に人気があるのだ。
 時代が時代だから、女として育てられたいづみがそうそう出歩いたり若者と話し込んだりすることはなかったが、家の前を通る若者の数が、やけに多い。この家は町外れにあり、あとは、上見山があるばかりだ。上見山に用のあるものなどそうはいないことを考えれば、やはり彼らのうちのいくたりかは、いづみを一目見ようとばかりに通りかかるのだろう。
 いくつもの縁談を無言のうちに握りつぶしてきたせいか、よからぬ噂もたちはじめている。
 曰く、 『よほどの玉の輿を狙っているのだろう』
 それを聞いた時は苦笑をするだけだったのだが、そういえばいづみは男だったなと、ようやっと思い出したのだ。
 自分の呑気さに、次に真っ青になった祖父だった。
 今更、おまえは男なんだと言ったとしたら、いづみがかわいそうだ。
 これまでの人生はなんだったんだ! じいさまのバカっ! などと言われたら、立ち直れないだろう。
 祖父が解決策に悩んでいるうちにも、日々は容赦なくながれてゆく。領主が注文した刀の期日も迫っていた。
 そうして、問題が棚上げされている間に、いづみは、ひとりの青年と出会ってしまったのである。

 いづみだとて、自分のことをおかしいなと考えていなかったわけではない。
 少しも育たない胸や、腰のくびれのなさとか、ゆうが授乳しているところを見てドキドキするとか、変だよなと感じていた。
 だからといって、そんなことを誰に相談できるだろう。
 遠まわしに――それは、なによりいづみの苦手とするところだったりするのだが――ゆうに聞いてみたが、『へんだよねぇ』というだけで、だからどうだという答が得られたことはなかった。
 もっとも、毎日毎日悩んでいたわけではない。
 もとより、悩みやつれるということとは無縁の性格をしているのだ。しっかり食事をとってぐっすりと眠れば、翌日にはすっかり忘れている。
 そうして、その日、いづみは、自分の運命と出会ってしまったのだった。



 湖の主を見送り、鷹巳は朱塗りの欄干に浅く腰掛けて、考えていた。
 春の心地好い風が吹き抜けるたび、部屋の区切りに使っている薄物の帳が大きくひるがえる。
 乱される髪を無意識に手櫛で整えるさまは、それだけで絵になるものの、どこか神経質そうな印象でもあった。
 何の気なく鷹巳が懐から取り出したのは、一振りの女持ちの懐剣である。
 それは、数百年の昔、自分を産み、ほどなくして亡くなった、人間の女の唯一の形見だった。好いた相手のいる母を、父が無理矢理に人里から攫ったのだと聞いている。そのために最後まで、母は父と心を通わせることがなかったのだ。ゆえに、母はひとでなくなることを厭い、最後まで頑なに”実”を受け入れることを是としなかった。ある意味、一本筋の通った生き方を選んだ女性である。
 漆に金蒔絵の豪奢な鞘から、刃を引き抜く。
 記憶にある母は、これをいつも握りしめていた。
 (母親を恋しいと思っているわけではないのですけどね)
 人間を恋うということは、父と母のような関係に身をゆだねることにほかならないのではないか―――と、鷹巳は思うのだ。
 父は、母を愛していた。
 それは、ひとならざるものの愛しかたではあった。
 荒ぶる神であった父は、それ以外の方法など、知りはしなかったのだろう。もしくは、返されることのない愛情に、絶望と恐怖とを覚えていたのだろうか。
 それがために、母が逝った後ほどなくして、父もまた身罷ってしまったのだ。
 通じぬ恋情に身を焼き焦がし、遂には己をも焼き尽くして、そうして、逝ってしまった。
 父と母との擦れ違いを知ればこそ、それくらいなら、恋しいと思う存在など、端から作らなければいいのだと、鷹巳は思う。
 湖の主のように、互いに心を通わせあうことは、ひととひとならざるものの間では、稀有なことにちがいない。
 たいていが、一方通行の、悲惨な終焉を迎えることとなる。
 たとえ両思いであろうと、棲んでいる時に違いがありすぎる。
 取り残されるのは、いつも、永く存在するほうだ。ひとならざるものは、心に刻まれた傷に、苦しみもがいて、遂には消え去るのだ。
 それを避けるための秘中の秘が、仙木の花首から鷹巳だけがつくりだすことのできる、実であった。しかし、欲しいと訪れる存在はあっても、それを使いこなせたものは、ごく少数にすぎない。
 それを思えば、たかがひとの子に恋心を抱いて、どうしようというのだろう――と、思うのだ。
 冷めている自分を充分に知っていればこそ、湖の主の先見を信じつつ、信じられなかった。
(やはり私は父の子だというほかないのでしょうねぇ………)
「おや」
 肩を竦めた刹那に、もてあそんでいた懐剣を手から取り落とした。
 抜き身の懐剣は、銀色の光の軌跡を描いて、はるか下界へと落ちていったのである。



 その日、いづみの祖父は領主の館へ注文の刀を献上するために出かけていた。
 前々からの約束で、ゆうと山菜取りに出かけたいづみの腹の虫がぐぅと鳴いたのは、太陽が中天近くにさしかかったころのことである。
「いづみちゃんったら」
 くすくすとゆうが笑う。
「はらへった〜」
 上見山近くの林の中だった。
「じゃあ、お弁当にしましょうか」
「やった」
 竹筒を傾けたいづみは、
「ちぇ。水がもうないや。汲んでくっから」
 そう言い残して、川に向かった。
「気をつけてね」
「おう」
 川で水を汲むついでに顔を洗ったいづみは、視界の隅で光るものを捉えた。
「?」
 誰もいないと思っている気安さで着物の裾を捲り上げたいづみは、ざぶざぶと膝よりも少し水位の深い流れの中に踏み込んだ。
「うへ〜ひゃっこい」
 ぶるるるとからだが冷たさに震える。
「さっさとしちまおう」
 よっと掛け声をかけて、いづみが水底から取り上げたのは、きらりと光りを弾く、女持ちの懐剣だった。
「へぇ、切れ味の良さそうな刃だな。錆びてないってことは、水に落ちてまだそんなに経ってねーよなぁ」
 刃の水を丁寧に拭い、いづみはそれに腰巻の裾を破ったものを巻きつけ、注意深く袂にしまった。
 そうして、いづみが来た方向へと踵を返した時だった。
「げっ」
 ながれの速い川の底でいづみがのっていた石が、ぐらりと揺れた。
 もともとが運動神経のかんばしくないいづみである。
 平衡感覚を崩して、そのまま流れに足を取られた。
「うわぁ」
 そうして、そこからいきおい深くなっていた川底に足をつくこともできず、ごぼんと、水に呑まれたのだ。


 母親の形見の軌跡を追って鷹巳が見たものは、勢いよく着物の裾を捲り上げたいづみだった。
「おやおや。とんだお転婆ですね」
 小さく独り語ちた鷹巳は、こんな状況で出ていっては女性に恥をかかせることになると、木の幹に身を隠した。そうして、そのまま立ち去ることもせずに、興味深げにいづみを観察した。
 懐剣は、いづみが入った川の中にある。鷹巳には、いづみの興味を引いたものが、川の底の懐剣の光だろうと、見当がついていた。だから、いづみがどこの某なのかを確かめて、それから返してもらいに行けばいいと考えたのだった。
 クヌギの木陰はいづみからは視覚になっているので、心置きなく眺めることができたのだ。
 すらりとして白い脛(はぎ)が、鷹巳の視線を惹きつける。
 知らず鼓動が乱れたのは、湖の女主のことばを思い出したからでもあっただろう。
 女主の先見に、心惹かれていたのかもしれない。
 しばらく考え込んでいた鷹巳が我に返ったのは、
『うわぁ』
といういづみの悲鳴のせいだった。
「!」
 めぐらせた視界に、川面から突き出したいづみの腕が映った。
 なにが起きたのか、考えるまでもない。
 瞬間、鷹巳の姿はクヌギの陰から掻き消えていた。


 誰かが腕を掴んでくれた。
 それに縋るようにもう一方の腕を必死で動かした。
 そうして、やっとのことで、引きずりあげてもらえたと安堵したいづみは、咳き込んだ後に、今度は悲鳴を呑む破目になった。
 浮いていた。
 浮いている?
 なんで?
 恐る恐る自分の今を確認したいづみは、そこではじめて自分を抱えている人物に気がついたのだ。
「あ、ありがとう」
 誰かが腕を掴んで引っ張りあげてくれたことを思い出しての、条件反射だった。
 言ってからいづみは、相手を見た。
 逆光でよくはわからなかったが、細面のきれいな男性だろうことが、感じられた。
「え、と、おりたいんだけど」
 なんと言えばいいのかわからないまま、そんなことを言っていた。
 抱きかかえられて宙に浮いているというのは、どうも不安定で、不安で、落ち着かない。
 相手が人間じゃないんだろうなということはわかるが、何で人間じゃないのが自分を助けてくれたのかがわからない。下手に逆らったりして、頭から喰われるような破目だけはごめんこうむりたかった。なんたって、ここは、上見山とは目と鼻の先の林なのだ。昼日中だから安心しきっていたが、化け物が絶対出てこないとは断言できない。
(ゆうだいじょーぶかな)
 心配になってきた。
 だから、誰かは知らないが人間じゃない相手が自分を川岸に下ろしてくれたことが、嬉しかった。
「ありがとな」
 そう言うと、いづみは、後ろを振り返りもせずに、びしょ濡れのまま走り出しそうとした。
「?」
 しかし、見知らぬ相手は、解放してはくれなかった。
 もがいても、腕の中から離してくれない。
 すっぽりと抱きしめられている。
「あんたなっ」
 思わずかっとなったいづみは、そこではじめて、相手の顔をまともに見た。
 間近に見下ろしてくるのは、思考が止まるほどの、美貌だった。
 白皙に金の瞳。すっと通った鼻筋に、不思議なほど赤い、整ったくちびる。
 自分がなにをしていたのか、なにをするつもりだったのか、いづみは咄嗟に思い出すことができず、呆けたようになってただ相手を見上げていたのである。
「そのままでは、風邪をひきますよ」
 薄めのかたちよいくちびるから発せられたのは、妙に人間臭い台詞だった。
(だから、あんたが離してくれればいいんだよ)
 そう声に出そうとした時、何かが弾けるような音がして、頬をあたたかな風に撫でられたような感触をおぼえた。
 音のほうを見れば、豊かに炎が燃えている。
 赤や柑子(こうじ=蜜柑)の色に青い色の交ざった炎が、地面から一尺ほどの高さでゆらゆらと揺れていた。
「あんたが?」
 そうとしか考えられない。
 やはりこの男は人間ではないのだろう。
「どうぞ、着物や髪を乾かしてください」
 穏やかで丁寧な口調だった。
(なんでここまでしてくれんだろう?)
 首を傾げるいづみだったが、
「じゃあ、遠慮なく」
 盛大なくしゃみのあとで、いづみはこんどは容易に男の腕から抜け出すことができたのだ。


「いづみちゃんってばなにやってんのよ〜」
 いくら待ってもいづみが戻ってこないので、心配になったゆうは、川へと向かっていた。  赤ん坊はすやすやと腕の中で眠っている。
 ずっしりと重くなった赤ん坊に、母親特有のやわらかな笑みを浮かべて、抱きしめた。


(少年……ですよね)
 川から救いあげたときに抱きしめたからだの感触を思い出し、鷹巳は炎の向こうのいづみを観察する。
 女ものの踝丈の着物を身につけた少年は、たしかに愛らしい。
 里のものにしてはいい身形をしていることから考えれば、それなりに裕福な家の娘――息子なのだろう。
(聞いてもいいものか、悩みますね………)
 仕草もひとつひとつが大雑把なものの、どちらかといえば、女性のものだ。女ものの着物に慣れているのだろう。
(理由があるのでしょうか)
「寒いですか? 少し風が冷たくなったようですからね」
 こちらに来ますか? ――と、自分の横を示すが、小刻みに震えているいづみは首を横に振るだけだ。
 くちびるがすこし青褪めているように見えるのは、気のせいではないはずだ。
 おそらく、初対面の自分に遠慮をしているのだろう。そう見当をつけ、鷹巳が自分から動く。
(お節介なたちではなかったはずですが……これは、よほど女主のひとことがききましたか)
 内心自嘲しながら、鷹巳は、いづみの隣に座を移し、薄手の羽織をいづみの頭から被せた。
「え、あ、いいよ」
 見上げてくる鳶色の瞳に、鷹巳は、笑みを返した。それは、鷹巳自身意識していなかったことだが、彼の白皙をより一層ひきたてるものだった。
 鷹巳の笑顔に視線を奪われて、いづみはただ見上げていた。と、
「!」
いきなり肩を抱き寄せられ、
「な、なにをっ」
 我に返ったいづみがもがく。
「じっとして。君、冷え切っていますよ。着物を脱がないから体温が奪われているのですよ」
「んなこといったって、あ……あんたがいたら、脱げっこないじゃないか」
「それは、失礼をしました。けれど、目を離した隙に、君がどこかに消えてしまうのじゃないかと思ってしまったものですから。ああ、私は鷹巳といいます。君は?」
「い、いづみ」
「いづみ……くん」
「なんで、”くん”?」
「不思議ですね」
 いづみの疑問を黙殺して、ふふ………と、鷹巳の赤いくちびるが笑みをこぼす。
「?」
 ひとの心を魅了する、笑みだった。
 なんというか、そこにいるだけで人目を惹く美男というのをはじめて見たと思いながら、小首を傾げた。
 既に鷹巳が人間じゃないだろうということなど、どうでもよくなっていた。
 先ほどの疑問も忘れていた。
 抱き寄せられてからだを預けていると、鷹巳の鼓動と体温とが、いづみを包み込んでくれるかのようで、不思議と穏やかな気持ちになった。
 それまでの寒さが、嘘のようだった。
 人間と変わらないじゃないかと見つめていると、
「私の名は、鷹巳といいます。どうも、君に一目惚れのようですね」
 とんでもないひとことが、鷹巳の口から飛び出しのだ。この時代、ある程度以上に裕福な家の男女の自由恋愛は稀である。ましてや、そんなに簡単に愛の告白なんてしない。男性が好きになった女性の親にまず打診をして、それで、許可が出れば、吉日を選んで結婚というのが普通の手順だ。あまり、そこに、女性の側の好き嫌いは関与しない。ゆうも、そうやって、結婚した。だから、面と向かっての告白に、いづみは、ビックリしたのだ。
「は?」
「いづみ、どうやら、私は、君のことを好きになってしまったらしいのです」
 大きく見開かれた鳶色のまなざしを見下ろして、鷹巳の金の瞳が艶然と笑った。


「きゃっ」
という押し殺した悲鳴に、いづみは我に返った。
 弾かれたように見開いた視界にあるのは、同じように見開いたのだろうぼやけた金の瞳。
 咄嗟に相手との間に距離をとろうともがいたものの、逆にきつく抱きしめられた。しかし、それは一瞬のこと。すぐに、きつい抱擁から解放された。
 心臓が痛いくらいに踊っている。
 自分がなにをされたのか、鷹巳が自分になにをしたのか。
 鷹巳の赤いくちびるが、自分のくちびるに触れたのだ。そうして、突然のそれを、自分は驚きはしたものの、心地好いと思ってしまった。
 鷹巳をまともに見ることができない。
 それに、こんなところを見られた――悲鳴の主は、確かめるまでもない。いつまで経っても戻らない自分を探して、ゆうがやってきたのだろう。――のだ。
 恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。だから、いづみは、いつにない素早い動作で立ち上がった。
 そうして、鷹巳が呼び止める間もなく、その場から駆け去ったのだ。


 取り残された鷹巳に、ゆうが、恐る恐るお辞儀をする。
 そうして、ゆうもまた、いづみの後を追ったのであった。


 しばらくの静寂の後に、クスクスと、鷹巳の楽しげな笑い声が響いた。



◇◆◆◆◇



 家の前に人だかりができていた。
 なんだろうと訝しく思ったいづみが近づくと、自然、ざわめきがぴたりとやまり、人の群が左右に割れた。
「?」
 家の前に、物々しい形相で立ち尽くしているのは、二人の武士(もののふ)である。
 両足を地面に踏ん張り、槍を手に立っている。
 家の入り口である桧皮葺の屋根がのっている門は、竹を交差させて封印がなされていた。
 どくんと、不吉な予感に胸が鳴る。
「じいさま、じいさまは?」
 近くにいた顔見知りのおかみさんに詰め寄ると、痛々しげな表情をして、顔を背けた。
「どうしたんだよ」
「なにがあったんだ」
 悲痛な叫びに、武士の片方がいづみに近づき、
「鍛冶師が殿に無礼を働いたゆえに、明朝、処刑されることとなった。そのほうも城につれてくるよう命が下っておる」
「なんだよそれっ! じいさまがなに無礼を働いたんだ。んなこと、じいさまがするわけないだろう」
 それには何も答えず、詰め寄るいづみを後ろでに縛(いまし)め、二人の武士は、いづみを引き立てていった。
「いづみちゃん」
 ゆうの引き攣った悲鳴が、いづみの耳を射た。
 今にも泣き出しそうなゆうに、笑って見せ、いづみはそのまま二人に従ったのだ。


「いづみっ」
「じいさま」
 祖父が、庭の隅に縛められていた。
 寝殿造りの平城(ひらじろ)の、おそらくは領主の居室だろう部屋の外、縁側を見上げる庭に連れてこられたいづみは、その場に平伏させられた。
 後ろ手に縛められたままでのこれは、辛い。
 苦しさと不安と血まみれの祖父に加えられたのだろう仕置きに対する怒りに震えながら、いづみは静かに姿勢を保った。
 そのうち、誰かが近づいて来る気配がした。
「っ」
 前髪を掴まれたと思えば、顔を上げさせられた。
 痛みに涙がにじむ。
 霞む視界に、身形のよい男がぼやけて映った。
「なかなかの美形じゃの」
 男の命に、縛めが解かれ、いづみが大きく息をつく。  金襴を身にまとった恰幅のよい四十ほどに見える男が、閉じたままの扇で口元を覆いながら、いづみを見下ろしていた。その手に、白い包帯が巻かれているのが目につき、いづみは、まさかと、疑った。
 いづみの視線に気づいたのだろう、男は、
「そうじゃ。これは、そのほうの祖父がやったのじゃ」
と、いづみの目の前に手を突き出した。
「あのようななまくらを儂(わし)に献上し、あまつさえ、傷を負わせるとは、刀鍛治にあるまじき粗相よの」
「じいさまの刀がなまくらなわけない!」
「ならば、そのほうの目で見てみるがいい」
 ほれ、そこに転がっておろう―――と、扇で指し示した先には、無惨にも刃の折れた刀の柄から数尺ばかりと刃先の部分とが転がったまま打ち捨てられていた。
 試し斬りをしていて、折れた刃が領主の手を傷つけたらしい。
「そんな……」
 刀を確かめようと伸ばしかけた手を、領主の扇が情け容赦なく打ち据えた。
「触るでないわ。儂の前で刀を持つなど、謀反人と見なすがよいのか」
「なんで刀が折れたのか、確かめたっていいだろう!」
 必死の形相で、噛みつくように見上げてくるいづみに、領主の顔が邪に歪んだ。
「そのほうに、わかると?」
「わかるさ!」
「ならば、の。確認させぬでもない」
「ほんとか?」
 ぱっと顔を輝かせたいづみに、
「そのほうが、酒の相手をするというなら、確認させようぞ。しかし、確認したとて、折れたが鍛冶師の腕の悪さのせいよりないとなれば、どうする? 隠そうとはせぬか?」
「そんなことしない! オレはじいさまを信じてる!」
「ならば、酒の相手をするのじゃな」
「よしなさい。いづみっ! そんなことをしてもらっても、じいさまは嬉しくない」
 祖父のかすれた声が飛んだ。しかし、
「そちは黙っておれ。で、よいのじゃな?」
 にたりと、領主が笑う。
「わかった。その代わり、折れたのがじいさまの腕のせいじゃないときは、じいさまの命を助けてくれるな」
「よかろう。何もとがめだてはせぬと誓おうぞ」
 そう言うと、
「この娘に湯を」
と、誰にともなく命じ、居室の奥に戻っていった。


 手伝おうとする女たちを振り切り、どうにかひとりで着物を脱ごうとしたいづみの袂から、何かが転がり落ちた。
「なんだ?」
 拾い上げると、それは、川で拾った抜き身の懐剣だった。
「すっかり忘れてた」
 布をほどいて刃を見ていると、よく鍛えられた鉄が、いづみを安心させるかのように光った――ような気がした。
 懐剣を持ったまま、いづみは湯気が立ち込めている湯殿へと入り、腰掛けの上に置いた。
 錆びるとやばいなとは思ったものの、こんなところに懐剣を持ち込んでいるなどと思われては、これ以上ない嫌疑をかけられてしまうかもしれないからだった。
「しっかし、酒の相手をすんのに、なんだって風呂を使うんだ? 下々のもんは汚らわしーってかぁ」
 領主のことばのとおり、本当に酒の相手をするだけのだと思っているいづみは、勢いよく湯船に飛び込んだ。
 脱衣所に戻ったいづみは、懐剣を持ち歩いたことが正解だったとほっと溜息をついた。
 脱いだはずの着物はなく、目に鮮やかな刺繍のほどこされている、やけにきれいな着物が用意されていたからだ。
「これを着ろってか?」
 すべすべした生地は、はじめての感触だった。
「もしかして、絹……とか」
 まいっかと、さっさとからだを拭いて、それに着がえた。忘れずに懐剣もよく拭い、固い帯の間に挟み込む。
「よしっと」
 弾みをつけるために、いづみは自分の頬をぺちぺちと叩いたのだった。


 領主に仕えている女たちに先導され、いづみは領主が待ち構えている部屋へとたどりついた。
 板敷きの間の中ほどに、数枚の畳が引かれ、その上で、領主は既に酒肴をつまんでいた。
 うっすらと赤く染まった顔が、なんともいえず好色そうで、いづみは、部屋の入り口で硬直した。
「きたか」
 手招く領主に、しかし、足が動かない。
「なにをしておる」
「あっ」
 ゆらりと立ち上がった領主がいづみの手首を掴み、部屋へと引きずり込んだ。
 障子を閉めた女たちが無言で下がってゆく。
 いたたまれなくて、領主の隣に無理矢理座らされて、いづみは顔を背けた。
「はずかしいのか」
 領主は、くつくつとひとり悦にいった笑いを漏らす。
「そのからだつき。男は、まだ知るまいの?」
 そうでなければ、おもしろうないでな――と、独り語散る領主に、それまでのいたたまれなさを忘れたいづみが、
「酒の相手すんのに、なんでそんなことが関係あるんだよっ」
と、食ってかかる。
 それが、領主の気に入ったらしい。
「そうか。知らんのじゃな。よいよい。初々しゅうてよい」
「!」
 肩を抱かれ、ぞわりと不快な感触が背筋を這い上がった。
 自分が何か大変な勘違いをしていたことに、ようやくいづみは遅蒔きながら気づいた。
 領主の手が、衿をくつろげようとするのに抗う。
「えい! 少しは静かにせぬか。鍛冶師を助けたいのだろう」
「あっ」
 痛いところを突かれて、いづみの抵抗が止まる。
「おとなしゅうしておるほうがよいぞ」
 ねつい視線をいづみの薄くひらかれたくちびるにあて、領主が顔を近づけた。
 ぷんと、酒の匂いが鼻を射る。
(鷹巳っ!)
 刹那、いづみの脳裏をよぎったのは、つい数刻ばかり前に知りあった、おそらくはひとではないだろう美貌の男だった。
 熱く不快な息が、頬をかすめる。
 先ほどのこぜりあいで、弛んでいた帯から、懐剣が音をたてて転がり落ちた。
 しかし、領主もいづみも、気づかない。
 懐剣はその刃に、いづみが領主にくちづけされようとする瞬間を映すばかりであった。



◆◆◇◆◆



「っ」
 突然脳裏を掠めて去った映像に、鷹巳が立ち尽くす。
 いづみと遭った、川のほとりである。
 いづみを追いかけもせず、ここにいたのは、自分の感情を整理しようとしてのことだった。
 感情のままに行動することは容易い。
 衝動のままいづみにくちづけた、あの心地好さは、まだ身内を去ってはいなかった。
 だからこそ、愚かなまねをしないようにと、ここに残ったのだ。
 月白の湖の女主の先見に煽られて、意識がはじめて会った人の子へ人の子へと向かっただけなのかもしれない――と。
(女主もどうせ先見をしたのなら、詳しく言いおいてくれればいいものを)
 愚痴た後、鷹巳は静かに、自分の心を覗き込んだ。
 そうして、数刻が過ぎたのだった。
 それは、あまりにも唐突な映像だった。
 心地好い木々の吐息の中で見るに相応しからざる光景でもあった。
 嫌がるいづみがなにものかにくちづけられようとしている場面が、脳裏をよぎったのだ。
 刹那、身の内に、心臓をぎりりと握りこまれるような苦しさが生じた。
 くちびるを噛みしめ、鷹巳は、意識を研ぎ澄ませた。
 常に静謐な空気をまとってはいるが、その本性はかつて上見の魔物と恐れられたことすらある魔神(まがみ)である。
 かつてひとが彼の逆鱗に触れた時に、いくつの山が壊滅し湖となっただろう。また逆に、同じく薙ぎ倒された森や林、干された湖には、永の年月の後に今では新たな人里ができて久しい。
 いづみがどこにいるのか、鷹巳は即座に看破した。
 もう、悩んでいる時ではない。
 逡巡しているあいだにも、いづみは、あの醜いものに汚されてしまうかもしれなかった。
 そう考えるだけで、いてもたってもいられない。そう自覚した次の瞬間、川岸から鷹巳の姿は消えていた。


 領主の、酒気と欲望とにそまった、のっぺりとした顔が近づいて来る。
 嫌悪に身を粟立たせながら、それでもいづみは覚悟を決めて目を閉じた。
 しかし、いつまで経っても、くちびるに何も感じなかった。
 恐る恐る目を見開いたいづみは、眼前の光景に、硬直した。
 咄嗟に、理解できなかったといったほうが正しいだろうか。
 領主が、自分の襟首をつかんで泡を吹いてもがいている。
 そうして、その後ろ首を締め上げているもの―――それは、
「鷹巳!」
 いづみの顔が歓喜に輝く。
 それを見下ろし、鷹巳は、自分の中の感情が、愚かな一時の欲望などではないのだと、強く感じた。
 そんな場合でも状況でもないと、わかってはいた。
 それでも、心の奥底から湧き出す感情を、ことばにしたかったのだ。
「いづみくん、愛していますよ」
 いづみの鳶色の瞳が眼窩からこぼれ出しそうなほど大きく見開かれ、次の瞬間、いづみは、全開の笑顔で鷹巳を見たのだ。
 領主が板敷きの床に投げつけられる音が鈍く響く。
「大丈夫でしたか?」
「たかみ」
 それだけを返すのがやっとだった。
 差し出された手を握り、立ち上がる。が、足が震えて立っていられなかった。
「肩を貸しましょう」
 そうしていづみの腕を自分の方に回したときだった。足元に、何かがちかりと光ったような気がした。
「ちょっと我慢してください」
 そう言い置いて、屈みこんだ。
「ああ。知らせてくださったのは、あなたでしたか。ありがとうございます。母上」
 小さくつぶやいた鷹巳は、懐剣を床から取り上げると、持っていた鞘に戻し、懐にしまった。
 一部始終を見ていたいづみは、なにが自分を救うきっかけをつくってくれたのか、理解した。
「さあ、ここから出てゆきましょうか」
「まって。じいさまが、じいさまが殺されるかもしんないんだ」
「なら、君のおじいさまも助け出さなければいけませんね。どこに?」
「そっちの庭だと思うんだ」
 いづみの指差す先の障子をたかとうが開こうとした時、領主の郎党を呼ぶ悲鳴じみた声が響いた。
「まったく。殺生はしないでおきましょうと思っていたのですけれど、ね」
 軽い舌打ちとともに、吐き捨てるように鷹巳がつぶやく。
 聾がわしい足音と仲間を呼ぶ大音声とともに現われたのは、二十人ほどの武士だった。
「殺さないでくれよ。頼むから」
 いづみの訴えに、鷹巳の整った口角がゆるりと上にもたげられた。
「しかたありませんね。君の頼みとあれば、そのように」
 囲まれながらも余裕綽々の鷹巳といづみを中心に、激しく空気が渦を巻き始めた。
「それでは、行きましょうか」
 男たちの悲鳴を耳に心地好いものと聞きながら、鷹巳がいづみの祖父だろうと目星をつけた老爺(ろうや)に向かって進む。
 唸り狂う竜巻が、障子を梁を柱を、城のありとあらゆる部分を力まかせに引き千切り、吹き飛ばしてゆく。
 庭の片隅で、自分にと近づいて来る竜巻を恐怖に呆けたようになって凝視していたいづみの祖父は、目の前で竜巻が止まったのに、目を剥いた。
「じいさま」
 竜巻の中から現われた孫に抱き起こされ、見たこともないほどの美貌の青年に気づいた。
「あなたは?」
「上見山の主」
 ことば少なに返した鷹巳に、いづみまでもが驚愕を隠せず鷹巳を振り返る。
「もうここには住んでいられないでしょう。ふたりして、私の館へおいでなさい」
「オレは行くよ。じいさまも行こう」
(………まさか)
 孫のことばに、老爺は、頷いた。
 事実、ここまで派手なことをしてここに残っていたのでは、殺されるのを待つだけだろう。
「それでは、ご厄介になりますかな」
「歓迎しますよ」
 鷹巳がにっこりと微笑んだ。
 領主と郎党が這う這うの態(ほうほうのてい)で彼らに追いついた時、三人は、一同の前から忽然と姿を消したのである。


 後には、無残に破壊されつくした平城が残るばかりであった。



おわり



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