毬と殿さま




「げっ」
 俺は、思わず、呻いた。
 だってなぁ………。

 あんまり妹が愚図るもんだから、俺は、妹の相手をしてたんだ。俺んちは、ちょっとした油問屋をやってっから、子守のねえやがいるんだけど、今ちょっと里帰り中だ。親父とお袋は忙しいしなぁ。俺だって暇ってわけじゃないけど、まだ見習いだし。仕事を覚える手を止められるのは俺くらいで、結局、親父から子守をおおせつかっちまったんだ。
 妹は、所謂恥かきっ子ってヤツでさ、オレと、十も年が離れてる。親父もお袋も、妹にはめたくた甘い。今、六つ。うるさいし生意気だし。けど、憎めないから、しかたがない。たった一人の妹だしなぁ。
 妹が飛ばした毬を追っかけて、裏口から表の通に出たのはいいけどさ、これはないんじゃないかなぁ。
 ああ、俺、こんなところで、手討ちになっちまうのか。
 道に、たくさんのひとが叩頭してるのは目に入ってたけど、勢いついちまって、ついな。
 ああ、馬鹿だなぁ。
 参勤交代の大名行列の前に出ちまった。
 やばい。
 と、思ったけど、足が震えて、逃げられないし、その場で叩頭することもできやしない。
 大名行列の邪魔なんかしちまったら、俺は、もう助かんねーよ。
 ごめんな。
 毬、新しいの買ってもらえよ。
 俺は、毬を手にしたまま、馬鹿みたいに、侍が刀を抜くのを見てた。
 その時だ。
「待て」
って、声が、聞こえた。
 漆塗りの駕籠の前に、侍が跪いて、外からかごの戸を開けた。
 草履持ちが、懐から取り出した草履を、駕籠の前に、ぴたっと投げる。
 駕籠から現われた、壮年の男性は、渋い、裃姿だった。
 侍たちが、膝を折る。
 思いもよらない展開にぼんやりしてると、さっきまで俺を斬ろうとしてた侍が、刀を鞘に収めて、片膝付いて、頭を下げた。
「殿さまであらせられる。叩頭せんか」
 腹の底に響くような叱咤に、俺は、やっと、現実に立ち返ったんだ。
 カラクリ人形みたいに、ぎくしゃくと、平伏しようとした。
 けど、できなかった。
 なぜって、いつの間にか、駕籠から出てた殿さまが、目の前に来て、俺を見下ろしていたんだ。
 俺を見下ろしてくる黒い目が、なんか、嫌だった。

 俺は手討ちにされずにすんだけど、この状況がわかんねー。
   本陣に、俺は、いるんだ。あ、本陣って、大名高官が泊まるための、旅籠のことな。俺は知らなかったんだけど、賄いから何から、全部大名の家中でやるんだと。なんでも、戦中戦下の陣中の名残というか、そういう習いになっているらしい。供揃えが多すぎて部屋が足りないとかの理由がないと、一般の旅籠に参勤交代に従ってる侍は泊まれないらしいし、もちろん、大名(家中のものは泊まるけどな)高官以下は、本陣には泊まれない。
 毬を持ったまま、俺は何でかしらないが、行列に加えられた。
 手討ちにされなかっただけましだって思わなきゃなんねーんだろうけどさ。釈然としないと言うか、はっきり言って、不安だ。逃げ出さないように、左右を侍に固められてるしなぁ。家には帰れないって、腹括っとかないと駄目か、やっぱり。
 道端の知った顔に、毬を、妹に渡してくれって言伝たくても、それができない。妹に届けに行きたいって、言える雰囲気じゃないしな。話しかけようとすると、じろりと見下ろされるんだ。俺は、結構小さくなって、歩くはめになった。
 そんでもって、やっと、宿だ。
 俺は、いったいどうなっちまうんだ?
 不安だったけど。
 わざわざ殺すのに本陣につれてこないよなと、ちょっとだけ、安心してた。
 でも、不安は不安なんだ。
 しかたないだろ。
 ちろちろと、侍や腰元の視線が、気になってしかたないんだけど、俺は、なるたけ、目を合わせないようにしてた。
 足濯ぎをされて、通されたのは、なんでかいきなり、風呂場だった。
 あれよあれよという間もなく、女中(お女中って言ったほうがいいのか?)に、風呂桶に突っ込まれた。いや、比喩だけどな。いいですって、慌てる俺にかまうこともなく、女中は、俺のからだを洗ってく。ざばんと上がり湯をかけられて、俺は、浴衣を何枚も変えてからだを拭われた。
 つかれた〜って、思ってる間もなくってさ。そのまま、白い寝巻きに着替えさせられた。
 飯食ってないのになぁ。
 そんなことを思ってたけど、それは、なんか、ヤな予感を打ち消したかったからだ。
 このへんまできて、俺は、あれ? って、思っちまってた。
 わかんねーって、わかんないふりをしときたいけど、そっちのほうがやばいか? もしかして。もしかして――――俺、別の意味でやばいんじゃなかろうか。
 どきどきっつーより、ずくずくって、心臓が痛い。
 通された部屋が、やけに立派な寝室ってのが、とどめだった。
 十畳くらいありそうな部屋の半分から向こう、一段上がった黒漆の縁の奥は、御簾が下ろされてる。香が炊きこめられてるし、御簾越しにも、布団が敷かれてるのが見える。
 やばい。
 ぞっと、背中に粟が立つ。
 腹が減ってることなんか、たちまちどっかいっちまった。
 オレは、襖を開けて逃げようって思ったんだ。
 この際、寝巻きだとか何とか、言ってられないし。
 なんか、俺を見下ろしてた黒い目が、なにを考えてたのかに思い当たって、今更ながら、マジで、脂汗が流れていた。
 ヤだぞ。
 そんなこと。
 俺は、まっとーな男なんだ。
 女の子が好きだし。
 まだ言い交わした女の子はいないけど、それでも、俺は、女の子のと結婚して、子供を持つんだ。
 なのに、
「どこへ行く」
 襖の外に、侍がふたり。
 無表情にそう言われて、俺は情なくも、へろりと笑ってしまったのだった。
 別の襖を開けても、同じことだった。
 どいつもこいつも、知ってやがんだ。
 俺………お手つきになんの?
 がんがんと、耳鳴りがうるさい。
 足が笑う。
 その場にへたり込んだ俺は、括る腹も括れなくて、ただ、呆然としてた。
 どれくらいそうしてたんだろう。
 俺のためには開かない襖が開いて、殿さまが、入ってきた。
 俺の顔は、引き攣ってただろう。
 俺を見下ろして、クッと、口の端で笑った。
 そうして、
「来い」
 逆らえないことは、わかってる。
 俺は、大名の殿さまに、召されちまったんだ。
 どんな状況で召されたにしても、逆らったりしたら、家族にまで、迷惑かかるんだろうなぁ。
 俺は従おうとしたけど、膝が笑って、立てれなかった。
  「なにをやっている」
 苛立ったような声がして、殿さまが、俺の二の腕を掴んで引きずった。
 そうして、俺は、御簾をくぐったんだ。



 溜め息が出る。
 殿さまのおでましだ。
「ほら、そっち行ってな」
 膝で寝てた、真っ黒い猫を下ろして、俺は、身形を整えた。
 そろそろ殿さまがやってくるだろう。
 あれから、三ヶ月。
 俺は、お国御前なんて呼ばれてる。
 正妻と跡継ぎは、江戸にいるから、国元には、お妾を置いている。俺が、それなんだそうだ。
 毬が縁だから、お毬の方だそうだ。うんざりするよなぁ、まったく。もっとも、そんなで呼ばれるのは、噂話の中だけだけどな。
 でもな、玉の輿とかいわれても、困る。
 俺、男だしなぁ。
 まぁ、子供は産めないので、お家騒動の元にはなりようがないけどさ。
 またひとつ溜め息をついたときだった。
 縁側の障子が開いて、
「来い」
と、言われた。
 こいつ、いっつも命令口調なんだよな。
 まぁ、大名の殿さまって、そんなもんかもしれないけど。
 よっこらせと立ち上がって、オレは、殿さまの手を取った。
 年寄りみたいだけど、しかたないだろ。
 ほぼ毎日来るんだから。
 疲れてるとか辛いとか言ったって、無駄なんだ。
 庭を歩いて、池の中にいる鯉を見てると、
「林太郎。何かほしいものがあるそうだな」
 水に映る殿さまの口が動いた。
 うん。そうなんだ。
 別に櫛簪とか着物とか、刀とか、そんなものがほしいわけじゃない。櫛簪は女じゃないから要らないし、着物も今あるので充分だし。刀なんて物騒なもん、持ちたくもない。今あるので、充分なんだよな。真面目な話。
 俺は、これまで殿さまに、ねだったことはない。
「言ってみろ」
 そう言って、俺を見下ろすこいつの目が、なんとなく嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか?
 うん。
 とりあえずの馴れ初めがこいつの気まぐれでも、結局気に入られちまったわけだし。斬られるのを止めてくれたわけだし。夜には「愛している」なんて、あの低い声でささやかれるのも、悪くないと思っちまう自分に気づいちまったからな。
 まいっか――って、俺は、開き直ることにしたんだ。
「毬がひとつほしい」
 俺のことばに、殿さまの目が大きく見開かれた。
「毬だと?」
「そう。手毬をひとつ。できれば、俺の書く文を添えて、家に届けたいんだけど」
 俺は、殿さまを振り返った。
 多分、妹は新しい毬を買ってもらってるだろうけどな。親父やお袋も、俺がどこぞの殿さまに攫われたって、聞いたとは思うんだけどな。
「だめか?」
 振り返った俺の視線の先で、殿さまがにやりと笑った。
「いいだろう。ついでに、わが藩御用の看板もつけてやろう」
 結納代わりにな。
 そう返されて、今度は、俺が、目を剥く番だった。
「さあ、来い」
「ど、どこ………」
 引っ張られて、俺は殿さまの腕の中に転がり込んだ。
 転がり込んだ俺は、きつく抱きしめられた。
 そうして、
「外がよければ、かまわんぞ」
 ささやかれたことばに、俺は数瞬おいて、真っ赤になった。



 一月の後、俺の実家に、手毬と文、それと藩御用の鑑札が届けられたらしい。
おしまい



up     08:32:33 2008 09 23
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