だれか………。
ここから、出してくれ。
ガラスで囲まれたような、狭い空間に、オレは、閉じ込められている。
わめいても無駄だってわかっている。誰にも、オレの声は聞こえない。
まるで、出口のない鳥篭の中にいるみたいだ。
ガラスみたいに透明だから、素通しで、周囲がよく見渡せる。
オレは、完成したのやら作りかけなのやら、部品だけとかの、人形がずらりと並んでいる部屋にいる。
怖いくらいの迫力なんだ。
たくさんの、ガラスの目が、オレを凝視しているような錯覚があって、なんか、落ち着けない。
正確に言うと、部屋の中心を占めている、大きな作業机の上に、オレは、いる。
机の向こうでは、なにやら難しい顔をした男が、無言で、作業に熱中している。
何かの白い骨を、乳鉢の中ですりつぶしている。それは、熱心に、一心不乱なまでの、集中力なんだ。
コリコリ……と、静かな室内に、音が消えては生まれてゆく。
そんな男を見ているだけで、オレは、いたたまれない思いにとらわれる。
なんでだろう。
なんでなんだろう。
オレは、考える。
思い出せ。
いや、思い出すな。
忘れてしまえ。
正反対な命令が、どこかから、ささやきかけてくる。
だから、どうすればいいのかわからなくなって、オレは、蹲っちまうんだった。
そうして、どれくらいの時間が過ぎたんだろう。
「先生」
気がつくと、見知らぬ男が、難しい表情をした男の後ろにいた。
「ああ。岸田か」
「あまり根を詰められると、先生のほうがまいってしまわれます」
顔色の悪い、岸田が、先生と呼ばれた男に、湯飲みを差し出した。
湯飲みを受け取りながら、
「私は、それでも一向に構わないのだがな」
つぶやいた言葉に、岸田が、硬直する。
「そうなれば、あれを、解放してやることができる」
自嘲気味に岸田を見やった視線が、すいと、オレに向けられる。
え?
こいつ、オレのことが見えているのか?
だったら!
ここから、出してくれっ!
叫びながら、見えない壁をたたくんだけど、やっぱ、だめだ。
見えてるくせに、オレの願いを、無視する。
やっぱ、性格悪いよな………
って、オレ、こいつのこと知ってんのか?
「いや、なおのこと執着してしまうか」
男の口角が、ゆっくりと持ち上げられてゆく。
「業だな」
「先生」
「どうして、あれに、こんなにも囚われてしまったものか」
「智紀くんは、死んだんですよ」
「わかっている」
これは、あれの、智紀の、遺骨だ。
男の視線が、乳鉢に注がれる。
その刹那、オレの全身を走りぬけた戦慄は、恐怖だったのだと思う。
直感だった。
あれ、あれは、オレなのだ。
そうして、オレは、智紀というものなのだろう―――と。
男は、何をするつもりなのか。
ただ、毎日毎日、オレであったものを、すりつぶし続けていた。
それが終わると、何かと混ぜて、粘土状のものになった。そうして、それを捏ねて、人形のものらしいパーツが、作り上げられてゆく。
ああ、あいつは、人形を作るつもりなんだ。
オレの、骨で、人形を作るんだ。
でも、それで?
オレは、ただ、あいつのする作業を見つづけていた。
あいつのそばには、気がつけば、岸田が、黙って控えていた。たぶん、あいつがいなければ、男は、日常の瑣末なことなど、すべて無視していたに違いない。物も食わず、飲まず、風呂にも入らず、眠ることも、なかっただろう。もっとも、睡眠時間は、転寝程度でしかなかったが。
男の頬が、削げてゆく。
顔色が悪くなる。
そうして、やっと、男は、等身大くらいの人形を作り上げたんだ。
細部にまでこだわった、少年の人形だった。
褐色のガラスの瞳が、きらきらと、照明をはじく。
本物の人毛を使ったらしい少し赤みがかった黒髪が、無造作に整えられてゆくのを、オレは、ぼんやりと見ていた。
なんだか、いやな予感がする。
怖い。
記憶にあるような顔立ちの人形に、気分が悪くてたまらない。
なのに、男は、
「これで、形代は完成した」
言うや否や、オレを、凝視したんだ。
にやり―――と、男の笑いが、オレを怯えさせる。
逃げないと。
けど、遅すぎた。
逃げられやしないと、わかりきってはいたけど。
大きな、男の手が、オレを頭から捕まえた。
まるで、猛禽類に掴みかかられるみたいだった。
そうして、そのまま、オレは、男に、喰らわれたんだ。
男の丈夫そうな白い歯が、オレを、噛み砕いてゆく。
痛みは感じなかったけれど、恐怖だけは、オレをしっかりと、捕らえて離そうともしなかった。
どうなるのか。
このまま、飲み込まれてしまうのか。
怯えるオレは、ただ、目を閉じていた。
口に、何かが触れている。
ふっと、息苦しさを感じて、目を開いた。
目の前に、黒い何かがある。
なんだろう。
そう思うと、それが、離れていった。
「っ!」
入れ替わりのように襲ってきたのは、すべてのビジョンだった。
それは、オレの、過去だ。
忘れたい過去―――――――
忘れていただろう過去。
そう。
死んだはずのオレには必要のないすべて。
オレは、よみがえらされたことで、すべてを、再び、取り戻してしまったのだ。
男に強いられた、ことまでもを。
どうしてなのかは、わからない。
理由など男は一度も口にしなかったから。
岸田を入れて男三人の毎日の中、突然降ってきた、嘘のような出来事に、おれ自身、狂ってしまいそうだった。
けれど、オレは、狂わなかった。
狂えなかったのだ。
だから、あってはならない関係を強いられる毎日から、オレは、逃げたのだ。
そうすれば、男が正気に戻るだろうかと。そう。何よりの恐怖は、抱かれる毎日でも、オレが、男を嫌えなかったということだった。けれど――――
オレを見つけたとき男の目の奥に潜むものを見て、オレは、恐怖よりもなによりも、冷たい絶望を感じていた。
オレは、男に、殺された―――――のだ。
最後に見た、狂った黒い目を、オレは、まざまざと、思い出す。
首を絞められたときの、あの、絶望、苦しさ。すべてを。
「ともき」
男が、オレの名前を呼ぶ。
「とうさん………」
オレの目から、どうしようもない恐怖が、涙になって、あふれ出した。
「二度と逃がしはしない」
男の言葉に、オレの背中が、全身が、そそけ立った。
おしまい
up 12:12:56 2008 09 14
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