rhapsody in dark




 月が、雲間に顔を隠す。

「うそつきーっ!」
 思わず叫んでた。叫ばずにいられなかったんだ。そうして、首からかけてたものを、ちぎって、投げつけた。
 けど、奴は、やっぱ、しらっとしたままだった。
「うそつきとは、誰が――だね」
 そう言いながら、奴の視線が、ベッドサイドに逸れた。そこには、この国のガイドブックが乗っている。日本人向けに翻訳したやつで、たぶん訳したやつがそーゆー趣味だったんだろう、この国の民間伝承にかなりのページが割かれている。
 カーテンが中途半端に開いた窓を背にして立っている奴の、意思の強そうな口元が、少しだけ弛んだような気がした。なんか、馬鹿にされてるような気がしたんだけど、勘違い――じゃ、ない、みたいだ。
「私と遭ったことすらない輩の言を信じるなど、愚にもつかないとは思わないかね」
 オレが投げたニンニクの首輪をひと嗅ぎして、奴は、遠慮のかけらもなく、近づいてきやがった。オレは、と言えば、震えながらズボンのポケットの中を探った。情けないっちゃなさけないんだけどさ、実際、これも効かなけりゃ、オレはいったいどうすりゃいいわけ? 聖水も、十字架も、効き目はなかった。確かに、ガイドブックを鵜呑みにしたオレが馬鹿だったんだろうけど。けど、まだ、一縷の望みは、残ってるよな? そうだろ………? 最後の望みを託して、ポケットの中のそれを、オレは、握り締める。
 冷たい掌が、オレの首筋を捕らえた。
 全身が震えて、オレは、それを、思いっきり相手の心臓の辺りに突き刺したんだ。


 どこまでも灰色の街だ。
 灰色の空、灰色の石畳。建物の壁さえも、灰色だった。
 どこでもよかったから選んだ異邦の地は、季節のせいもあるんだろうけど、とても、寒い。
 失恋旅行を気取って、北の国なんか選ぶんじゃなかった。そう思ったって、後の祭りだ。パックツアーだからかどうか知らないけど、周りは年配の男女とか、物好きな新婚とか、カップルだったりするので、独り者のオレは、はっきり言って浮いてるし、いたたまれなかったりする。
 で―――だ、このツアーの目玉のひとつは、実在したって言う魔王の城の観光なのだった。森の奥にある堅牢で、やっぱ寒々しい印象のごつごつした古い石造りの城だ。ああ、魔王ったって、実際に魔術を使ったとかそういうわけじゃなくって、それくらい恐れられてたってことなんだ。ようは、綽名だよな。まぁ、晩年には、異端の、今は教義なんか忘れられてる宗教の宗主をやって、異端審問に引っかかって、実の息子に塔に幽閉されたらしいけどな。でもって、幽閉されて数年後、開かれた塔の部屋で、遺体は見つからなかったらしい。だから、よりいっそう怖がられて、幽閉した本人なんかはノイローゼみたくなって、弱って死んじまったそうだ。実の息子にそんだけダメージ与えられるんだから、よっぽど苛烈な性格してたんかな、魔王って奴は。オレは、誰か、熱狂的な信者かなんかがこっそり遺体を外に出したか、生きてる魔王を外に出したかしたんじゃないかって思うんだけどな。ま、大昔の話だけどさ。
 そんななぞが残ってるくらいだから、魔王の墓は、今もって、未発見なままなわけだ。見つかれば、世紀の発見なんだろうなぁ。と、それはともかく。ツアコンに先導されて入った塔の中には、なんとなく陰湿な空気が漂ってるような気がした。
 六角形の広い部屋はがらんとしてるのに、小さな明り取りの窓が天井のほうにあるだけで、暗い。気がめいるような色調の絨毯とか、天蓋つきのベッドとか。結構大きな机に椅子。後は、数冊の本があるだけだ。これは、冬が寒いよな――なんて、オレは、思ったね。暖炉がないから、温まろうと思ったら、ベッドで丸くなるしかないみたいだし。ここは、冗談じゃすまないくらい寒いだろうし。――――なんんつーか、直に手を下すのは、後の災いが怖いからやだけど、自然に死んでくれるんなら、万々歳って、そんな感じ? えと、未必の故意とかなんとかって、か?
 なんか気分が悪くなってきて、オレは、ツアコンに断って、塔から外に出た。
 太陽がいまいち冴えない顔をして、オレを出迎えてくれた。
 塔に入る前の階段の窓から、崩れかけの建物みたいのが、見えてたんだけど、オレは、森の中のそっちに向かった。時間は余ってたし、ず〜っと心を占めてる侘しさをどっかに打っちゃりたい気分だったんだ。
 オレは、ただ、彼女が、好きだった。だけど、彼女は、オレの姉貴でさ。血は繋がってなかったけど、歳も七つ離れてるけど。オレはまだ十七のガキだけどさ、かなり、真剣だったんだ。まぁ、この思いがかなうなんてことは、端から、ないと、オレだって知ってたさ。けど、やっぱ、婚約されたらな。ずん――と落ち込むさ。それがまた、男のオレが見てもいい男で。オレなんか、かないっこない。オレが姉貴に惚れてなけりゃ、彼が兄貴になってくれるってだけで、うれしい――そう思っちまえるような相手でさ。姉貴と婚約者、親父とお袋、四人がリビングで和気藹々とやってると、オレは、思い過ごしだってわかってるんだけど、疎外されたような気になって、明るく相手できなかった。我ながらぶっきらぼうに頭を下げて、自分の部屋でコンポのボリュームを上げたり、DVDをかけたり――――さ。相談するダチがいないわけじゃないけど、相談したってどうにもならないって判ってたらさ、なんかそんな気力なんか沸いてこないしさ。オレは、だんだん、泥沼に足を取られてにっちもさっちも行かないみたくなっちまってた。で、気分を変えようって、オレは、貯金を下ろした。そうして選んだのが、この国への旅行だったんだ。まぁ、親父やお袋には、卒業旅行を早めにしたいんだって言ったら、結構すんなり許してくれてさ。うん。まぁ。大学も、推薦入試ですでに決まってたからな。
「ふうん。これも、やっぱ建物だったんだな。城? だよな」
 崩れ落ちた建物に、びっしりと蔦が絡みついていて、あの塔よりも、こっちのほうが、よっぽど陰惨な気がした。
 空のせいかもな。曇天じゃなくって、晴天だったら、雰囲気があるくらいですんだに違いない。
 オレは、ベッドくらいの大きさの一枚岩に、腰を下ろした。
 そうして、仰向けに寝転んだんだ。
「疲れたよな………」
 腕枕をして、オレは、寒い空の下だっていうのに、うとうとしちまってたらしい。
 ふと、重苦しさを感じて開けた目の前に、オレは、一瞬、思考が止まっちまった。
「なにやってんだっ」
 もがくオレの上には、人影があった。
 オレは、石の上に、押さえつけられてた。誰かが、オレに馬乗りになってたんだ。顔は影になって見えないけど、男だって判った。
 男が、からだを離して、オレを見下ろした。
 やっと、顔かたちを確認できた。
 途端、心臓が、痛いくらいに跳ねた。
 こいつ、知ってる。
 バスのドライバーだ。
 なんだって、こいつが、オレの上にいるんだ?
 旅行中、視線を感じて確認すると、いつもこの男がオレを見てた。くすんだ金髪と灰色の目をした、一見普通の男なんだけど、なんか、こう、へんに厭な印象を受ける男だった。こいつの灰色の目が、ナイフみたいに不気味に光って、まるで親の敵でも見てるんじゃないかってくらいきつい視線でオレを見てたんだ。
 男が、にやりと、いやらしげに笑う。
「あんた、俺のこと誘っただろ」
 男の口から出た日本語を理解するのに、時間が必要だった。
「な、に、言ってんだよっ」
「金持ちの日本人相手の、やな仕事だって思ってたんだけど、あんたがいたからな、今日まで我慢したんだ。あんた、モロ、俺の好みなんだ。あんたもだろ」
 こんなとこまでオレを誘うくらいだもんな。
「誘ってないっ」
「日本人はシャイだって言うしな」
 今更照れなくてもいいだろう。
 そう言って、男は、オレにキス、しやがったんだ。
 しかも、ディープなやつ。
 口の中をはいずる舌の感触に、送り込まれる他人の唾液に、嫌悪感ばかりが湧き上がって、オレは、男の舌を噛んでた。
 けど、なんで?
 男が痛いのならわかるってーのに、なんだって、オレの頬が痛いんだ。
 ぽけっとしてるオレは、ガツガツと、頭を石にぶつけられた。
 現実味がなくて、痛みは、それほど感じなかった。頬のほうがよっぽど痛い気がする。
 男は、オレに舌を噛まれて、怒ったらしい。オレの頬を張ったついでに、首を絞めて、揺さぶってる。――――そう理解して、はじめて、オレは、痛みと恐怖を両方、感じたんだ。
 殺される。
 そう思った。
 オレの意識が遠くなる。
 これってやばくないか?
 オレの抵抗が止まって、男は、我に返ったのか。と、思ったら、オレの服を、毟りはじめる。
 嫌だ―――と思っても、からだが動かない。
 こんなところで、レイプされて、殺されるんだろうか。
 情けない。
 そう思ったときだった。
   石が揺れた――ような気がした。
 そうして――――――――――――――――

 その後の光景を、オレは、一生忘れないのに違いない。

 石だとばかり思っていたのは、地中に埋もれた、石棺の蓋だったんだ。
 石がオレと男ごとずれて、石棺から、白骨が、起き上がる。
 灰色のカルシウムの塊が、オレを押し倒している男に襲い掛かる。
 そうして、男が、見る見る骨と皮へと変貌を遂げてゆくのを、オレは、遠くなったり近くなったりする意識の中、ぼんやりとただ見上げていた。
 なんかの映画みたいだ―――
 そんな、危機感のないことを思いながらだ。
 ただのカルシウムの塊に、血肉が宿ってゆくのを、見ていた。
 黒い髪の、壮年の男だ。
 意志の強そうな目が、赤い。
 赤い目が、オレを、見下ろす。
 オレを襲った男だったものを手にしたままで―――だ。
 オレは、逃げなかった。
 逃げられなかったんだ。
 魔を宿した赤い瞳が、オレの動きを、縛めてた。
 怖いのに、動けない。
 動けば、最後だ。
 襲われて、血を吸われて、オレは、死ぬんだ。
 かさかさの、かわいた骸になった男みたいに。
 けど、逃げなくても、同じだろう。
 どっちにしても、オレを待ってるのは、同じ末路だ。
 なんだかな――――
 あまりと言えば、あまりな人生の幕引きに、オレは、嗤った。
 その時、男が、オレの顔を、興味を宿した目で見た――ような気がした。
 なんだろう―――――オレが、相手を見返したときだ。
 突然、男の姿は、掻き消されるように、消えた。手にしていた、オレを襲った男の成れの果てもいっしょにだ。
 遅まきながら、オレは、ツアコンがオレを探しに来たことに気づいた。
 駆け寄ってくるツアコンの姿に、緊張の糸が切れたらしい。オレは、そのまま、気絶しちまったんだ。

 旅行の日程は、まだ半分だ。次の日、オレは、『どうします?』と、聞いてくるツアコンに、ホテルで休んでると、言った。期間中同一ホテルに滞在型のツアーでよかったと、オレは、そのときは思ったんだ。あたふたと日程をこなすために一日一日別のホテルなんて、ぶっ倒れちまった身には、しんどいだけだしな。
 あからさまにホッとしたツアコンに薬をもらって、昼飯のルームサービスも予約しておいてもらった。それで、オレは、ベッドに、もう一度横になったんだ。
 ツアコンも大変だよな。バスの運転手の突然の行方不明を地元の警察に説明したり何なりと、昨日はいつにも増して忙しかったにちがいない。しかも、客の一人はぶっ倒れるしな。絶対に、将来、ツアコンにだけはならないとこうと、オレは、肝に銘じた。
 どれくらい眠っただろう。
 ふと、人の気配を感じたような気がした。
 もう昼かなぁ………。
 ルームサービスを持ってきてくれたのかも――と、オレは、目を開けた。
 そこには。
 夜よりも暗い瞳が、オレを見下ろしているのを、見た。
 たちまち、オレの全身が、硬直する。
 昨日の………………バケモノ………。
 食い損ねたから、追ってきたのか?
 オレなんか食べてもうまくないと思うけどな。
 震えながら、妙に、間の抜けたことを考えてた。
「かつて、ひとは、私のことを、魔王と、呼んだな」
 低い、声だった。
 静かな、声だったんだ。だから、オレは、油断しちまったんだろう。
「ま、おう……?」
 ごそごそと、ベッドの上に起き上がりながら、オレは、男の言葉を反芻していた。
「そうだ。だが、お前には、私を名で呼ぶことを許そう」
 そう、言って、
「私の名は、リヴァンだ」
と、つづけた。
 なんでかな、その時、オレは、その名前を口にしないといけないような気がしたんだ。だから、
「リヴァン………」
 わけもわかんないまま、呼んだ。
 刹那。
 オレは、自分がしくじったことを、本能的に悟ったんだ。なんだろう。繋がったような気がしたんだ。無理やり、オレの魂だかなにだかが、こいつと繋げられている。そう。オレは、この先、こいつから逃げられないかもしれないんだって。
「お前の名前は」
 証拠に、
「…………と、とおる」
 逆らえなかった。
 言ったら最後だって、オレの本能が警告をしていた。なのに。まだかろうじて、どこかに逃げ道があったはずなのに。オレは、自分で、それを、塞いじまったんだ。
「透―――か。………透。お前は、これから先、私のものだ」
 いつの間にか赤に戻っていた目で睨むように見られ、そう断言されて、オレは、忘れていた恐怖がよみがえるのを感じた。
「イヤだ!」
 首を振りながら、オレが叫ぶと、リヴァンの厳しい表情が、揺らいだ。
「まだ逆らえるのか」
 嘯くようにつぶやくと、オレの両肩に、手を乗せて、体重をかけた。

 リヴァンは、逃げようとするオレを、無理やり抱いたんだ。

 なんで、こんなことになるかな。
 ベッドに突っ伏したまま、オレは、枕を濡らした。
 どんなに抵抗しても、哀願しても、すべては、無駄でしかなかった。
 さんざん好き勝手にオレをもてあそんで、あいつは、姿を消した。
 ――――――-また来よう。
 そう言ってだ。
 あいつに繋がれた感覚はいやってほどあるというのに、オレがあいつに逆らえたことが不満だったみたいだ。
 要は実力行使に出たわけだ。
 それでもって、あいつは、それが、気に入ったらしい。
 オレのすべては、あいつに隷属されきらなかった。なのに、最終的に逆らいきれないオレの悔しさとかそういう感情を、あいつは面白いと思ったわけだ。
 ――――どうにかして逃げないと。
 でなければ、あいつに取り込まれてしまう。
 なにか、あいつを遠ざけるヒントでもないかと、オレは、ふと目についたガイドブックを闇雲にめくった。あいつはこの国の魔王だもんなって思ったんだ。

 不調を押して、オレは、ホテルの近くの教会に行った。言葉が通じない神父からどうにか聖水を分けてもらって、帰り道目で、ニンニクと銀の十字架と、銀の杭を買った。神父も店のやつも変な顔をしてたけど、物好きな日本人がいるもんだってかたをつけたに違いない。
 食欲はなかったけど、無理やりルームサービスを胃に詰め込んでから、ニンニクで首輪を作って、窓と自分の首にかけた。
 そうして、夜がやってきたんだ。


 手から伝わってくるのは、肉を無理やり引き裂く、気持ちの悪さだった。
 オレは、大仕事をやり終えたと、杭から、手を離した。
 けど、断末魔も、悲鳴もなかった。
 ただ、やつの掌よりもいっそうのこと冷たい沈黙が、この部屋を浸していったんだ。
 ああ、やっぱり。
 落胆と絶望が、オレに襲い掛かって、気力を奪っていった。
 オレは、ベッドに腰を落として、顔を両手で覆った。
 やがて、喉の奥で噛み殺し損ねた笑い声が、クツクツと、オレの耳を叩いた。
「言っただろう。愚にもつかない―――――と。それとも、小麦を撒けば私が這いつくばってすべてを数えるとでも、本気で信じたのか? そんな欠点ばかりの滑稽な魔物が魔王だなどと恐れられるわけがないだろう」
 そう言って、リヴァンは、いつの間にか血の色に染まっていた眸で、オレの目を覗き込んだんだ。


 結局オレは、リヴァンから逃げられないままでいる。

 ツアーの間中あいつはオレにくっついていた。まるで、オレを見張るかのように、だ。そのままの名前で、あいつは、ツアーに最初からいたみたいな顔をして混ざりこんだ。よりによって、オレの恋人ってことにして。オレが嫌がるのを、楽しんでるんだ。それでもって、夜は、オレを、抱く。当然の権利だと、あいつは、主張するんだ。
 オレは、あのときからあいつのもので、これから先、オレがあいつ以外を好きになったら、相手は、あいつの呪いで死んじまうらしい。そんなことさらりと言われて、オレは、真っ青になった。
 そりゃ、日本に帰ったらどうにかなるなんて思っちゃなかったけど、そんな呪い、オレは、いらない。
 けど、しかたない。
 オレは、魔王憑きなんだ。
 あいつは日本までついてきた。
 堂々と本名で、近所に越してきた。

 そうして―――――魔王が、今日もオレを招くんだ。



おわり




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