妖 剣











 犬の遠吠えが、静寂しじまを破る。
 風に押し流される雲の隙間から、はかなく月光が、見え隠れする。
 ひときわ強い風に、川べりに植えられている葉を落とした柳が、音たてて揺れる。
 道端に積み上げられていた何かが崩れる音に驚いた猫が、金目を光らせて路地を駆け抜けた。

 しんと静まりかえった、夜の町に、災厄が、訪れようとしていた。

 娼館帰りの身形みなりのよい酔客が、ランタンを手に、ひとつしゃくりあげる。
「今夜は冷えるねぇ」
 大きく身震いをして、男は、立ち止まり襟巻きを巻きなおした。
 その時だった。
 男は、ある意味幸運だったろう。
 こぼれ落ちるはかない月光を反射させた鋭い太剣筋が、刹那の間に男の命を奪ったのだから。
 ボッと音をたてて、地面にこぼれた油が燃え上がる。
 男は、自分になにが起きたか気づくこともなかった。ただ驚いたような不思議そうなまなざしを、離れた位置に倒れてゆこうとしている己の胴体へと投げかけていた。
 面布めんぷを被った男がひとり、砕けたランタンの炎が燃え尽きるまで、こときれた男を見下ろしていた。


「さぁさぁ、事件だ。昨夜もまた、辻斬りが出たよっ」
 町の雑踏で、手にした刷り物を示しながら、男が、はやし立てる。
「兄さん一枚おくれ」
「おー。こっちもだ」
「はいはい。毎度あり」
 次々伸ばされる手の上の小額コインと引き換えに、瞬く間に男の手から刷り物が消えてゆく。
 白地に朱色の模様も鮮やかなマントを羽織ったひときわ体格のよい男が、買ったばかりの刷り物に目をやりながら、器用に雑踏を縫っていった。
「ティーガどこいってるの」
「え? あ……」
 刷り物から目を離し決まり悪そうに頭を掻いた大柄な男を、ひときわ小柄な少女めいた女が腰に手をあて見上げていた。
「あ、その。スゥただいま」
「おかえりなさい」
 にっこり笑えば春の花のように愛らしい愛妻に、王都南地区第三警備隊隊長、ティーガは、めっぽう弱かった。
「あ、そうだ。イスルの若さまがきてるのよ」
「エストさまが?」
「うん。居間でみんなとお茶飲んでるわ」
 言われて、ティーガは、スゥとふたり、居間に向かった。
「ティーガお邪魔してる」
 中庭を眺めることができる居間で、ひとりの歳若い貴公子が、ティーカップを額のあたりまで掲げて見せた。
 ゆたかな亜麻色の髪を高くひとくくりにした、青い瞳の、まだ少年めいた貴公子である。
「これは………あと、いらっしゃい。エストさま」
 彼、いや、彼女の正体を知っているティーガは、思わずかしこまりそうになって、慌てて誤魔化した。
 どっかりと、頭指定席である、暖炉に近い位置に陣取った。
「辻斬りが出てるって?」
 しばらく屋敷を抜け出せないでいる間に、なんだか、凄いことになってるみたいだけど。
「犯人は?」
「警備責任が、フェルザさまの番じゃありませんからね〜」
「なかなか。難しいみたいですよ」
「騎士から上の身分だろうって、噂はありますけどね」
「なんでも、一剣両断」
「これまでの被害者は、みんな、首を斬りおとされてるんですよ」
 ティーガの手下が、口々に、まくし立てる。
「何人?」
「かれこれ……ひのふの…………」
「七人ですよ。ティーガ」
 お茶を入れながら、スゥが、口を挟んだ。
「みんな、夜出歩くの怖がってるわ。夜警も大切な仕事だから。ね、みんな」
「おかみさん〜」
 耳の後ろを掻きながら、強面が売りの警備隊員たちが、情なさそうに、顔を見合わせた。


「陛下」
 恬淡とした美声が、美しく刈り込まれた広い庭にこだましていた。
「グリフォールさま」
 静かな落ち着いた声が、金髪の声の主に、かけられた。
「これは、フェルザどの」
「いかがなさいましたか」
 怜悧な印象の端整な表情が、無表情を売りとするアンガス国女王筆頭侍従、グリフォールに向けられる。
「よいところに。陛下を見られませんでしたか」
 ふっと、口角に弛みを見せた王都警備第二取締役フェルザが、
「陛下ならば、先ほど」
「どちらに」
 常の鉄面皮を返上しての筆頭侍従の慌てふためくさまに、
「先ほど、警護役二名と町に出かけられましたようですよ」
と、後をつづけた。
 ぴく……と、グリフォールの眉間に皺が寄せられる。
「また、ですか」
 低い、まるで呪詛がこもっていそうな声に、できると評判の王都警備第二取締役も、思わず数歩退きかけた。
「このあいだのおしのびから戻られて、あれほど、政務に専念するとおっしゃられていたというのにっ。今日は、新しいお試し御用の者の顔見せだと、あれほど念を押しておいたというのにっ」
 まるで、血の道の女性のように、抑えきれない激情を声にして、わなわなと、震える。
 鉄壁の無表情という筆頭侍従の評判が、フェルザの心の中で、音をたてて崩れてゆく。その欠片かけらを振り払いながら、
「まぁ。まぁ。筆頭侍従さま。ここはひとつ落ち着かれてはいかがですか」
 フェルザが、手近の椅子を指し示した。
「陛下の御身に何かあればと思えば、落ち着かれようはずがないではありませんか」
 麗しい紫の瞳が顰められ、鋭い声が、迸る。
「陛下に何か起きるとも思えませんが」
「辻斬りが出ていると聞き及んでおります」
「護衛がついておりますから」
「エヴェル………ローレル……………陛下にもしものことがあれば、今期の責任者である王都警備第一取締役共々、お試し御用に下げ渡してくれる」
 怨念のこもっていそうな、声だった。
「それに、行かれる所も、決まっておられますし」
「他人事のような顔をして。私よりも詳しそうですね」
「はぁ。余計なことをすれば、差し出口と、第一取締役に恨まれますから。それに、南地区第三警備隊隊長のティーガとは、顔見知りですのでね」
「南地区第三警備隊隊長のティーガ――――どういった人物なのか、一度この目で品定めしたいものですが」
「悪い男ではありませんので、ご安心ください」
と、請け負った。


「うう………」
 て切られた扉の奥から漏れ聞こえてくる苦しげな喘ぎに、廊下に立っている男たちは、顔色ひとつ変えることはない。
 救いを求める声と、打ち据えているかのような空気を切る鋭い音。
 広い室内に、薫香くんこうがただよっている。
 しかし、蝋燭だけの薄暗い室内、白い背中を鞭打たれているものも、打ち据えているものも、そんなものを顧みる余裕などはない。
 天蓋を支える柱の一つを抱くように両手を縛められているのは、まだ年若い、少年である。
 冬だというのに汗でぬめる白い背中には、無数の蚯蚓腫みみずばれが、生々しい赤を宿している。そのうえに、まだ、次々と、新たな痕が増やされてゆく。血が流れていないところから鑑みれば、鞭を振るう側が、力の調整をしているのだろう。
 鞭を振るっているのは、四十ほどだろうか。彫の深い整った顔立ちは、今は、くらい情念に、囚われている。少年を見据える双の瞳にも、一層暗い、執着と情欲それになにがしかの苛立ちとを宿して、いた。
 彼が、少年をこの部屋へ連れ込んで、やがて小半時が過ぎようとしている。
 鞭打たれるたびに噛みしめていたくちびるは、やがて苦痛に解け、押し出されるようだった悲鳴は、今では、かすかな喘鳴へと変化している。
「ユーファス………」
 執着の音を隠そうともしない男の呼びかけも、もはや、ユーファスと呼ばれる少年には、意味があるものとは届いていないに違いない。
 男の手から、乗馬用の鞭が、落とされる。
 背後から抱き込むように、少年の顔を覗き込む男の手が、傷ついた少年の背中を撫でさする。
 苦痛に、少年が、弾かれたように震えた。
 男のきつく閉ざされていた口角が、ほころび、ぞっとするような笑いを形作った。


 第一王都警備隊詰め所の面々は、殺気立っている。
 なんだって第一が警備責任の時に、こんな面倒な事件が起きるんだ。とは、口には出さないものの、彼らの本音であったろう。
 辻斬りが出始めて、まだ、七日。それなのに、被害者は、七人なのだ。一晩でひとりの割合で殺されている計算になるが、実は、違う。偶然出遭った者を手当たりしだいに切り殺すだけなのか、一晩で殺される人数は、まちまちだった。
 手がかりは、被害者を一剣両断にするその腕前の見事さ。いずれ名のある騎士か、名工の手による剣なのだろう。
 片っ端から、騎士という騎士、武具屋という武具屋を、彼らは走り回っていた。

「もし。そちらの騎士さま」
 背後からかけられた声に、男は、振り返った。
 顔にやわらかい笑みを貼りつけた男が、男を、見て、腰を屈めていた。今にも揉み手をしそうなほどである。
 笑顔ではあるものの、目は笑っていない。
 鋭い、射抜くようなまなざしである。
 マント無しに赤の腕章は、王都警備の平隊員である。その中でも苔緑色の制服は、
「第一警備隊の隊員が、俺になんの用だ」
「お腰のものを拝見できませんでしょうか」
 なにを無礼な――と、放言するのは簡単だが、騎士の腰の物を見せてくれ――と言うのは、言う側は命がけである。なるほど、警備隊員の視線が鋭くなろう道理である。
 男は肩を竦めて、剣を鞘から引き抜いた。
 かちゃり――と、剣を抜き取る寸前の金属音に、警備隊員が、息を呑み身構える。
 このまま、抜剣たちまち無礼打ちにされてもしかたがないのだ。
 通りすがりの者達も、遠巻きに、足を止めて、不安げである。
 しかし、男は、にやりと不敵な笑いを口元に、剣を元に戻すと、鞘ごと、警備隊員に渡したのだった。
「おまえの度胸に免じてな」
「これは、ありがとうございます」
 警備隊員がおそるおそる剣を鞘から抜く。
 きらり――と、陽光を、刃が、弾いた。
 矯めつ眇めつを繰り返していた警備隊員が、溜め息をついて、男に、剣を返した。
「綺麗なもんです。血曇りひとつ、油染みひとつ見当たりませんでした。さぞや、毎日手入れをなさってることとお見受けしましたが。卒時そつじながら、お名前を伺っても」
 へりくだりながらも、やはり視線は鋭いままの警備隊員に、剣を元通り剣帯に通した男が、口角を引き上げ笑いを喉の奥で噛み殺した。
「シェランブル。陛下よりお試し御用を拝命つかまつっている」
 この答えに、警備隊員が、真っ青に引き攣り、双眼を大きく見開いた。
 自分がとんでもない人間に、無理難題を吹きかけたのだと、理解したのだった。
 お試し御用、名の通り剣の試し切りのための役である。そうして、いまひとつ、罪人の斬首も、その任にある。
「も、申しわけございませんでしたっ」
 度を過ごした声で喚くように言うと、警備隊員は、頭を下げた。
 シェランブルは、肩を竦めると、その場を後にしたのだった。


「いたか?」
「いや」
「そっちはどうだ」
我主わぬしらはそちらを」
「うむ。では、身共みどもらは、あちらを」
「よいか、必ず、見つけ出すのだ」
「おお」
 青い顔をした主持ちの騎士たちが、雑踏の中を走り回っている。
 なにごとか、御家おいえの中ででも、問題が起きたのだろう。
 城下にいれば、何やかやと、主持ちの騎士たちが引き起こす騒動に出くわすことも多い。もっとも、我が身に火の粉が降りかかってこないかぎり、町の住人達は格段恐れるそぶりも見せることはない。王都に暮らすということは、王都に別宅を構える貴族たちとの共存を強いられるということに他ならない。慣れたものである。

 遠く近く、不思議な響きの声が、聞こえる。
 それに誘われるように、ユーファスは、目を開いた。
 暗い。
 蜀台の上に、一本の蝋燭が炎を宿して揺れている。
 それだけである。
 かけられていた夜具をはがし、ユーファスは横寝の状態からベッドの上にゆっくりと起き上がった。
 背中が、焼けつくように痛む。
 昨日の行為が頭の中によみがえり、ユーファスの顔が、歪んだ。
 こみあげるものを抑し殺すように、目を閉じ、しばらくの間、動かなかった。
 しばらくして、ようやく、ユーファスは、自分がどこにいるのか、ぐるりと、周囲を見渡した。
 ベッド以外は何もない、殺風景な部屋である。
 耳に馴染むような低い声は、扉を隔てたすぐ隣から聞こえてくるようだ。
 ユーファスは、這うようにして扉に近づき、静かに、ノブに手をかけた。
 香木の煙と多くの蝋燭の炎が、ユーファスを圧倒する。
 低く、それでいて朗々と、聖句を唱えていた声が、ぴたりと止んだ。
「気づいたか」
 ひとりの男が、ユーファスを振り返った。


「七人もすでに犠牲になっているのか」
 茶を啜って、エストが独り語ちる。
「やーねー。イスルの若さまが真剣になったって、どうしようもないってば」
 そんなエストの背中を、ばしんと、スゥが叩く。
「お、おい、スゥ」
 ティーガが焦るが、
「それはそうなんだけど、やっぱり、気になるだろ」
 エストは、気にしたふうもない。
「まぁねぇ。南地区第三警備隊の隊員ともあろう者が、夜回りを怖がるんじゃあ、フェルザさまに面目が立たないわよね」
「おかみさん」
「そりゃないっすよ」
「そうですよぉ」
「剣で試し斬りされちゃおしまいですよ」
「試し斬り?」
 ふと顔を上げたエストに、
「そういう噂もあるんですよ」
 ティーガが、答える。
「あまりにみごとに首を斬りおとしてるっていうので、剣の試し斬りでひと斬る味をしめたんじゃないかって」
「イスルの若さまには悪いけど、お貴族さまには、あぶないヤツが多いって言うし」
「い、言い過ぎだぞ、スゥ」
「なんでよ、ちゃんと、イスルさまには悪いって、断ったでしょ」
 ぷんと、頬を膨らす愛妻に、知らないっていうのは強いよなと、天井を見るティーガだった。
「貴族だって言うのか?」
「そういう噂が大半です」
 ティーガの苦々しげな口調に、
「ちょっと、出てくる」
と、脇に置いておいた剣を掴んだエストに、
「あ、イスルさま。今度はいつまで居候?」
 スゥがにっこり笑う。
「う〜ん、四、五日かな。帰りに、食料でも買ってこよう」
と、立ち上がりながら、エストが返した。

 試し斬りと聞いてエストの頭を過ぎったのは、つい先日知り合ったばかりのシェランブルの顔だった。
 意気投合して、この男は信用できると、役職を与えたのだ。
 もっとも、まだ、正体を明かしてはいない。
 女王だと言って、シェランブルの態度が改まったりしたら悲しいと、思ってしまって、だから、今日がシェランブルの目通りだったが、城を抜け出したのだ。ただ、なぜ、悲しいと思ってしまったかについては、エストは深く考えてはいない。
「シェランブルには、悪いんだけどね」
 女王の謁見といえば、名誉である。
 意味があって、故意と――といえども、わけを知らないシェランブルには悪いことをしているという、自覚は、あるのだ。
 この間教えてもらったシェランブルの家に、エストは、向かった。
 何か噂を耳にしていないかと、単純にそう思ったのだ。


 鋭い音をたてて、乗馬鞭が弾けた。
 直立したままの騎士たちが、首を竦める。
「まだ、ユーファスは見つからないのか」
 声が穏やかなだけに、騎士たちの胸に恐怖がつのってゆく。
 自分たちの主の恐ろしさを、充分に知っているからだ。
 逃げ出した小姓の心の内がわからないでもない。第一、元来小姓でなかった少年を、主の性癖を知りながら生贄のように小姓に仕立て上げたのは、彼らなのだ。罪悪感がないといえば、嘘になる。
 しかし、主が、小姓を気に入ったのは、思いの外だった。
 逃げ出したとして、最悪死んだとして、小姓など替えが利くと気楽に考えていたのだが、主が溺れてしまうとは、埒外だった。
 こうして要らぬ手間をかけられることになる。
「今宵は、別のものを侍らせましょうほどに」
 側近が言うのに、
「要らぬ」
 そう吐き捨てると、手にしたままだった乗馬鞭を、床に投げつけた。
 刹那、主の顔に現われたのは、デスマスクのような、無表情だった。それは、たちまちのうちに、消えてゆき、狂気をしたたらせた薄ら笑いへと変貌を遂げた。
「今宵、出かけるとしよう」
 そうして、騎士らが最も聞きたくなかったことばを、主は、ゆっくりと口にしたのだ。
 主の手が、剣に伸びる。あの剣。あれが、持ち込まれてから、主は、変わられた。―――否。以前なれば、抑えていた暗い熱の箍が外れたというべきなのかもしれない。小姓を相手にすることで抑えていた嗜虐の嗜好が、人を斬る悦びへと取って代わったのだ。それでも、あの小姓がいれば、まだ、抑えることもできていたのだ。夜伽の折に度を過ごした主によって、あの小姓が主の相手をできなくなってから、あの凶行は行われるようになった。
「よいな。ユーファスが見つかるまで、私は、毎夜、出かけることを決めた」
 口角に、狂ったねつい笑いを貼りつけて、主は、奥へと姿を消した。
 残された騎士たちは、真っ青に顔を引き攣らせ、側近が命じるより早く、部屋を後にした。
 とにかく、主を止めるには、逃げ出した小姓を見つけることが先決だった。


「お邪魔する」
 奥のほうにひとの気配があると、庭先から回ったエストは、ことばをなくして、立ちすくんだ。
 開かれたままの大きな窓の奥で、シェランブルが、見知らぬ少年を抱きすくめていたからだ。
 しかも、少年は、裸であるようで、剥き出しの腕を、シェランブルの両肩に突っ張っろうと、藻掻いている。
 エストの心臓が、面白いくらい激しくなった。
 顔が、全身が、熱いくらいだ。
 しかし、
「おお。イスルどのではありませんか。申し訳ないが、手伝ってもらえないでしょうか」
 背後の気配に気づいたらしいシェランブルが、ひとの好げな笑みで、エストに声をかけた。
 息を吹き返した心持ちになって、
「あ、ああ」
 エストは、窓から、部屋に上がった。
 そうして、なにが行われているのかを、理解したのだった。
「イスルさま。お久しぶりでございますな」
「パインロウ医師せんせい
 中では、少年の背中の怪我を、パインロウ医師が手当てしているところだったのだ。
 憐れなほど赤く腫れあがっている背中の治療に、少年は耐え切れずに仰け反り、シェランブルに抱きとめられる羽目になっているらしい。
「すまないが、半分、受け持ってくれ」
 暴れる怪我人を布団の上に押し付けるわけにもゆかず、ふたりは、両脇から、少年の腕を抱えたのだった。

 鎮痛作用のある薬湯が効いたのか、少年は、猫のようにからだを縮めて眠ったようだ。
 それを見て、ふたりは、部屋を移った。
「少し向こうの教会で行き倒れていたのを拾ったんだが、熱を出してな。それで、パインロウ医師にお出で願ったのだ」
 着衣をくつろげるのを嫌がるからどうしたんだろうと思ったら、ああだろう。
 訳ありだと思いはしたが、酷いことをするもんだ。
 主の仕打ちに耐え切れなくなって、逃げ出したといったところだろうな。
「可哀想にな。そんなじゃ、行くとこもないか」
「主が捜している可能性もあるだろう」
「なぜ? あれだけ苛めているのだから、わざわざ手間をかけはしないんじゃないのか」
 そんなエストの反応に、しばし、シェランブルは、まじまじと相手を凝視した。
 いっぱしの口を利くものの、よくよく見れば、まだ、少年めいている。
 拾った少年と同い年くらいの、十六から十八くらいといったところだろうか。まだ成人していないと思われる。
「なんだ?」
「彼の怪我自体は、充分、抑制された手馴れたものらしい」
「は?」
「いや。パインロウ医師が言うには、あれは、乗馬鞭のようなもので打たれただろう痕で、そういう趣向が好きな相手にやられたのだろう――と、そういうことだ」
「…………」
 青い瞳が、考え深そうに、顰められた。
 ぽりぽりと人差し指で頬を軽く掻きながら、シェランブルは、エストを眺めていた。
「え、と、いうことは………そういうことなのか?」
 どこのことばだ――と思いながらも、通じるあたりがすばらしい。シェランブルは、
「そういうことだ」
と、顔を赤くした相手に、なるべく重々しくうなづいて見せたのだった。
 誰に気兼ねが要るわけじゃなし、しばらくは俺が預かろう――と、シェランブルが言うのに、反対するいわれもない。
 そうだな。じゃあ、ちょくちょく様子を見に来よう。
 そう言って、エストは、シェランブルの家を後にした。
 少年の容態が、見た目よりも悪いのだと、エストが知るのは、まだしばらく、先のことだった。


 食料を買うのを忘れてた――と、シェランブルの家とは反対方向の食料品店を、
「じゃあ、明日にでも、南地区第三警備隊隊長にとどけてくれ」
 そう言ってエストが出た時には、日はとっぷりと暮れていた。
 スゥの機嫌をとるための甘味も手に入れてある。食料品店に行く前に寄った菓子屋で、実はかなり時間を食ってしまったのだ。
 自分とさして歳も違わないのに、いっぱしのおかみさんであるスゥに、エストはほんの少しだけ頭が上がらない思いがある。それに、ああやって、好き勝手言い合える連れ合いというのに、憧れもあるのだ。
「いいよな」
 そう思った刹那に頭を過ぎった面影に、ふとエストの足が、止まった。
「まさか」
 否定するも、やはり、ドキドキと、動悸がうるさい。
「あれは………」
 シェランブルが少年を抱きしめていると勘違いした時の、あの感情は、
「嫉妬ってか? うわ〜どうしよう」
 恥ずかしい。
 明日は、シェランブルのところに顔を出せない気がする。
「と、とりあえず落ち着け、自分」
 必死で、鼓動を、泡を食っている思考を宥めようと、深呼吸する。
 その時だった。
 エストの青い双眸が、刹那にして厳しい色を刷いた。
 咄嗟に、剣を抜いて、払いのける。
 鋭い金属音が、夜の静寂を破った。
 川べりの柳が、葉を落とした枝を揺らす。
 川の流れる音。
 闇を強調する野良犬の遠吠え。
 遠い、夜回りの声。
「なにやつ」
 静かに、エストが、対峙した相手に向かって、誰何すいかした。
 面布を被った、身形の良い男が、月明かりに照らし出された。
 男が手にした剣が、ギラリ、剣呑な光を宿して輝く。
 その輝きは、まるで、男の双眸に宿った光と同じように、エストには思えた。
 ねつい、狂ったような、ドロドロとした、思い。
 男が刃を操るのか、男が刃に操られているのか。
 辻斬りはこいつか――――思考は瞬時に脳内を駆け巡る。
 エストが、正眼の構えから、剣をかすかに、動かした。
 男の双眸が、眇められた。
 ふたりの間に高まった緊張が、まさに弾けようとした刹那だった。
 夜回りの吹くかすかな笛の音。と、思えば、
「あれ? イスルの若さまじゃないっすか。おかみさんも隊長もしんぱいしてましたよ」
 南地区第三警備隊隊員が、あつまってくる。
 がれた殺気に、面布の男が剣をしまう気配がした。
 この人数をひとりで――とは無理と判断したのだろう。男は、気配を消して、その場を立ち去った。
 エストの視線が、鋭く、影を薙いだ。
 影から、すらりとした人の形が現れたかと思えば、軽く会釈をして、再び闇に溶け消えた。
「イスルの若さまが付き合ってくれれば、鬼に金棒だな」
「おお」
 上っ調子の南地区第三警備隊隊員に囲まれて、歩き出したエストは、つま先で何かをけったような気がして、拾い上げた。
「なんですか?」
 隊員たちが、エストの手の中を覗き込んでくる。
 月に翳して見れば、それは、
「ブローチだ」
 ダイヤとルビーそれに真珠をあしらった金細工の大振りなブローチは、マントを肩でとめるためのものである。
 エストは、それを、懐にしまいこんだ。
 後から面布の男を追っていったエヴェルではなく、ローレルに調べてもらおうと考えてのことだった。
 しかし、エストは、南地区第三警備隊隊長宅に帰った途端、スゥの心配そうな声に、それを忘れてしまったのだった。


 翌日、エストがシェランブルの元を訪ねると、困ったような顔をして、出迎えた。
「どうした」
「いや、名前をユーファスと名乗った後は、肝心なことになると喋ろうとしないので」
「そうか」
 しかたないかもしれないなと思いながら、エストは、とりあえず、少年、ユーファスの顔を見ようと、部屋に案内してもらった。
「ユーファス。イスルどのが、見舞いに来てくださったぞ」
「ありがとうございます」
 ベッドの上に上半身を起こして、パン粥を啜っていたユーファスは、慌てて器を盆に戻し、お辞儀をした。
「調子がよさそうで、何よりだ」
 そう言って、椅子に腰を下ろしたエストだったが、
「ああ、そうだ。見舞い持ってきたんだった」
 懐から、菓子屋の包みを取り出した。
 拍子に、ぽとりと、床の上に落ちたものがある。
 そこには、昨夜のブローチがあった。
「それは?」
「ああ。これか。昨夜、辻斬りに出くわしてな。おそらくは、その落し物と思うんだが………」
   床の上から、拾い上げながら、逸らした視線の先で、ユーファスの熱に浮かされてぼんやりとしていた双眸が、凍りついたように見開かれているのに、エストは、気付いた。
 ユーファスは真っ青で、全身がおこりにかかったかのように小刻みに震えている。額には、汗まで滲んでいる。
「どうした?」
 意外と面倒見がよいらしいシェランブルが、慌てたように、ユーファスに手を伸ばした。
 乾いた音がした。
「あ………すみません」
 ユーファスが、思わずその手を払いのけてしまった、シェランブルに、震える声で、謝罪する。
「いや、大丈夫だ。しばらく、横になるか」
「い、え。平気です」
 シェランブルのものらしい羽織っていた大き過ぎるガウンを掻き合せるように握りしめて、ユーファスは、ふたりに、視線を、向けた。
「おまえ、これを知っているんだな」
 エストのことばに、ユーファスがかすかにうなづいた。
「誰の、持ち物だ」
「……………」
 蚊の鳴くような、小さな声は、聞きとれず、
「すまないもう一度」
 エストが、再度促した。
「申しわけありません」
 一気に言ってのけ、顔を伏せ、激しく震えはじめた。
 恐怖か、苦痛か、それとも、その両方からなのだろうか。
 エストとシェランブルとは、顔を見合わせていた。が、ぽとりと言う音に、弾かれるように、ふたりは、縁側に目をやった。
「なんだ? つけぶみか?」
 シェランブルが拾い上げたそれを、エストが素早く取り上げ、結ばれていた紙を開いた。
 流れるような筆跡を、エストの瞳が辿る。エストの背後からそれを覗きこんだシェランブルの双眸が、驚愕に見開かれた。
 しばらく後、
「おまえは、ヴィクトール・アーシュライン伯爵の、小姓なのか?」
 エストの思わぬ問いかけに、ユーファスの肩が、大きく震えた。
「は……い」
 アーシュライン伯爵家といえば、代々の王家の信任厚い名家である。
「辻斬りの正体がアーシュライン伯爵では、王都警備隊では手が出せまい」
「イスルどの」
 シェランブルの声は、どこか、重い。
 自分の正体怪しまれていると、エストの眉間に、かすかな皺が刻まれた。


『すべては、あの剣のせいなのです』
 ユーファスのことばを思い出しながら、エストは、アーシュライン伯爵の屋敷へと向かっていた。
 もとより嗜虐の傾向にあったヴィクトール・アーシュラインは、あの剣を得てから、小姓をふたり嬲り殺したのだという。その後釜として選ばれたのが、アーシュラインに仕えるセランの三男であった、ユーファスだった。冷や飯食いに役がというので喜んだのもつかの間。それが主の小姓であると知った時の驚愕を、ユーファスは震えながら語った。上役の命であったから、父親に、否という考えはなかった。生贄同然に主のもとに出向いたユーファスを待ち受けていたのは、ヴィクトールの仕打ちだった。
『それでも、伯爵さまには、おやさしいところもおありだったのです』
 逃げる道すら断たれていたユーファスにとって、自身を弄る相手を慕うよりほかに、術はなかったのかもしれない。
 手酷く扱われた後に、時折り主の見せるやさしさが、いつしか、ユーファスを絡め取っていたのだろう。
『お止めしようとはしたのです』
 これでも、私も、騎士の端くれですので。
 かすかに嘲笑い、ユーファスはそう付け加えた。
『なるたけ体調が悪くとも、伯爵さまのお相手ができるよう、つとめました』
 けれど、ひとの身は、脆弱だ。
 無理をつづけて倒れたその次の夜、主は町で凶行に走ったのだと、ユーファスは、聞いた。
『それまでは、屋敷内の無礼討ちということで片付けられていたようです』
 しかし―――――
『伯爵さまは、私はもう必要ないのだと、剣に手をかけられました』
 何度も倒れるようになった小姓など、殿さまの激情をお諌めする役には立ちませんから。それは、しかたないと、思ったのです。
 怖ろしいほどの笑いを顔に貼りつけた主に、ユーファスは見下ろされた。
 主の心の中でどんな葛藤があったのか、剣の柄に手をかけ、主は小刻みに震え続けていた。
 主の表情が、怖ろしい笑いと苦悶の表情へとめまぐるしく移り変わるのを、ユーファスは、その目に刻み付けていた。
『あの剣に、伯爵さまは、とり憑かれておしまいになられたのです』
 逃げるなど思いもよらなかったユーファスが屋敷の外に出られたのは、苦悶の表情を顔に貼りつけた、アーシュラインのためであったのだと。
『伯爵さまが、私を、屋敷から、逃がしてくださったのです』
 ―――――戻ってはならぬ。
 そう、強く言い含められて、ユーファスは、不案内な、町を彷徨さまよい、そうして、シェランブルに拾われたのだ――――と、何度も咳き込みながら、話は中断したものの、それでも、最後まで、ユーファスは語った。
 しばらく、エストも、シェランブルも、ことばはなかった。
『妖剣というやつだな』
『ようけん?』
『鍛冶師なり前の持ち主なりの念がこもって、人に仇なすようになった剣のことをそう言う』
 シェランブルの説明に、
『それから、救われるためにはどうすれば』
 ユーファスが身を乗り出し、数度、咳き込んだ。
 傷つけられている背中を擦るわけにもゆかず、ふたりは、ユーファスの咳がおさまるのを待った。
『なにか、あるのか?』
『――剣を封印して教会に預けるというのは聞いたことがあるが、たいてい、持ち主が死んだ後の話だ』
 縋りつくようにシェランブルを凝視していたユーファスが、顔を背け、きつく目を閉じた。
『なんでもああいう剣は、ひとの心の隙をひどく上手く突くものなのだそうだ。人間であればこその不満を持たないものなどいないだろうしな』
『憑かれたが最後――そういうことか』
 エストの固いことばに、
『俺は、そう聞いている』
 シェランブルは重々しくうなづいた。


「ユーファスはまだ見つからないのか」
 豪奢な居間で、ヴィクトール・アーシュラインは、側近をじろりと見下ろした。
 昨夜は、あの若い騎士に会ったせいもあって、時間もなく獲物は見つからなかった。胸の奥からこみあげてくる衝動を、押し殺す手段は、ユーファスに相手をさせるよりない。しかし、あれを逃がしたのは、ほかならぬ自分である。それも、アーシュラインは、よくわかっていた。
 剣に視線が向かうのを、己でもどうしようもない。
 それを側近は敏感に感じているのだろう、禿げ上がった広い額を、手ぬぐいで何度も拭っている。
「他のものをお相手になさっては………」
「他のものでは、駄目だ」
 ユーファスに向かうものは、なにも、嗜虐ばかりではない。そう、愛しいと、そう、感じている己を、アーシュラインは知っている。
 怯えながらも必死に、己に応えようとするあれのさまは、いじらしい。
 いじらしいと、愛しいと、そう思う心に、剣が、あれの血を吸わせろと、そう、叫んで止まない。
 だからこそ、アーシュラインは、ユーファスを、己で逃がしたのだ。
 ――――だというのに。
 心が、からだが、あれを、欲してやまない。
 剣が、血を吸わせろと、うるさくせがむ。
 ユーファスの血を、吸わせろ――と。
 気が狂いそうだった。
 この次にユーファスを見れば、最後、自分は、あれを斬るに違いない。
 しかし、そうはしたくない自分が、いる。
 ぶざまな己に、アーシュラインがくちびるを噛みしめた。

 ふと、アーシュラインが、顔を上げた。
「表が騒がしいようだが」
 アーシュラインがそう言った時だった。
 表から、曲者くせものと、叫ぶ声が、耳に届いた。
 アーシュラインの双眸が、ギラリと暗い光を宿した。
「伯爵さまっ」
 側近が止める間もなかった。
 アーシュラインは、騒ぎの元へと、自ら、飛び込んでいったのだった。


「アーシュライン伯爵に用があるだけだって言うのにっ」
 向かってくる刃を流し返しながら、エストがぼやく。
「いくらなんでも無茶ですって」
 付き合うシェランブルもまた、騎士と相対しながら苦笑するしかない。
 正面突破の構えは立派だが、門番はともかく、後ろ暗い意識を持っている家来が大勢いるだろう屋敷の玄関で、いきなり、『アーシュライン伯爵に話がある』では、穏当に運ぶわけもない。
 と、
「伯爵さまっ」
 ひとりが、その登場に気づいたらしい。
 騎士たちが、息を呑んだ。
 青ざめた騎士たちの視線が、男の持つ剣へと向かっていた。
 これが、ヴィクトール・アーシュラインか――――と、エストは、男を眺めやる。
 面布なしでのそのようすは、想像していた狂人のものとは、異なっていた。
 端然と、男が立っている。ただ、そのまとう空気が、瞳に宿った光が、やはり、常人とは、異なるものだと、エストは、見て取っていたのである。

「何用だ」
 緊張した空気を破るように、アーシュラインが口を開いた。
  「返しにきた」
 懐から取り出したブローチを、突きつける。
 それを見て、アーシュラインの口角が、ゆるゆると、笑みをかたどってゆく。
「昨夜の獲物が自らやってくるとは、いい度胸だ」
「そのことば。辻斬りと認めるのか」
 アーシュラインが、喉の奥で、笑う。
「私が否定しようが、おまえは、確信していよう」
「そうだ」
「ならば、これ以上なにを言おう」
 いい終えざま、鞘から剣を抜く。
 エストが、かろうじて、受けて流す。
「いい腕だ。しかし、それまで」
 流れるように剣がひるがえり、軌跡だけを残して、エストに襲い掛かる。
 力で押されては、エストに勝ち目はない。
 受け流すのが精一杯だ。
 最後の一戟を、避けられないと、そうエストが思ったとき、彼女に代わってそれを受けたのは、背後からエストの前に回りこんだ、
「シェランブル」
「まったく無茶ばかりする。そこでしばらく休んでなさい」
 周囲は、そんなことを許してくれそうな雰囲気ではないというのに、溜め息混じりにそう言うシェランブルに、エストは思わず「はい」と答えそうになった。
 家人けにんたちは、あいかわらず、彼らを囲んでいる。
 殺気すら感じられる。
 主が辻斬りの犯人と知れてしまっては、それに加担した自分たちにどんな処罰が待っているかわからないから、それも、当然だったろう。
 しかし、そんな殺気も、伯爵とシェランブルとの対峙の前では、薄れがちだ。
 死闘が繰り広げられている。それも、もはや終盤が近づいていた。
「名を聞いておこうか」
 アーシュラインのことばに、
「王家お試し御用、シェランブル」
 大上段から、振り下ろす。
 それは、間違いなく、アーシュラインの命を奪っただろう一戟であるはずだった。
「とのっ」
 必死の叫びと共に、シェランブルの前に飛び出してきたものがいなければ、過つことはなかったはずである。
「ユーファスっ」
 アーシュラインの口から、魂消たまぎるような叫びが、迸った。


  「それでは、たしかに、お預かりいたしました」
「お願いいたします」
 司教が、祭壇の前で深く頭を下げた。
 エストとシェランブルともまた、頭を下げ、踵を返した。
 ふたりは、アーシュライン家を振り回し、巷を恐怖に落とした剣の封印を、教会に任せたのだった。
「切ない幕切れだったな」
 エストが思い返すのは、紙一枚の差でシェランブルの剣の露に消えることをまぬがれたユーファスのその後だった。
 ユーファス自身、命の残りが少ないという自覚があったのかもしれない。それでも、命を賭して主を正気に立ち戻らせたのは、小姓の、いや、騎士の鏡と言えるだろう。
 最後の最期、血を吐きながらも主と思いを通わせることができたのが、彼にとっては救いとなったのだろうか。
 救いとなっていればいい――と、エストは、空を仰いだ。
 ヴィクトール・アーシュライン伯爵は、あの後、エストの前に膝を折り、静かに断罪を待っている。
 アーシュライン家は、側近の処罰や家人の移動があるものの、遠縁の夫婦養子めおとようしが継ぐことに決まった。
 これで、すこしは、殺された者たちも浮かばれるだろうか。いや、せめて、慰められて欲しい――そう思う、エストだった。


 蛇足


「陛下」
「陛下はいずこにおわします」
 金の髪を振り乱して、筆頭侍従が、王城の広い庭を経巡り、女王を捜していた。
「グリフォールか。どうした」
「ああ。陛下そちらにおわされましたか」
 ほっと、紫の瞳をゆるめて、グリフォールが木立から現われた女王に近づく。
「本日、お目見えになる者を連れてまいりました」
「ああ、シェランブルだな。わかっている」
 エストの肯いに、グリフォールが、手を叩いた。
「シェランブル。こちらが、女王であらせられます」
 頭を下げたままで、シェランブルが、姿を現す。そのまま叩頭礼をとった。
「陛下。こちらが、シェランブル」
 グリフォールのことばに、一層、深く叩頭する。
 その背中に、エストは、
「遠慮はいらない。顔を上げるといい」
 顔を上げたシェランブルは、瞬間、空白の表情となったが、即座に、驚愕に、固まった。
 その顔を見て、エストが、クスクスと笑う。
「驚いたか」
「おひとの悪い」
 シェランブルが、太い笑みを口角に貼りつけた。

 
おしまい



up 00:57:17 2009 03 02
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