ため息をつきたいオレの気分、わかってくれるヤツはたくさんいると思うんだ。
　思うんだけど、それは、オレの希望的観測ってやつだろうか。
　菅生ルイという十も下の小学生に、
『倫太郎お兄さん愛しています』
と、コクられたのが運のツキかもしれない。
　そりゃーな、めちゃくちゃきれいなガキんちょだった。いや、いまでも、きれーだよ。
　ああ！　きれいだ。黒い髪はさらさらで、日焼け知らずの肌はつるつるで、鼻筋は通ってっし、薄めのくちびるはきれーな赤だ。何よりも印象的なのが、金色に近い目の色、あれに見つめられたら、たいていの女はころっといくだろう。たとえ、相手が小学生だとしてもだ。
　いわゆる絶世の少年ってやつだ、菅生ルイは。でもって、外面がいい上に、何でもよくできる。当人に聞いた話では、こっちに来る前は、大学生だったってーんだから、なにをかいわんやだ。わざわざこっちに来て小学生からやり直さんでもよかろーにとぼやいたら、やっこさん、いい機会ですからとぬかしやがった。
　やっこさん、猫かぶってやがるんだよ。
　こっちじゃ目立つやつはいじめられるってこと知ってんだよ。
　だから、帰国子女ってこととあの容姿だけで充分目立つから、学力ほどほど、運動神経もまぁまぁって、何をやっても平均点の小学生を演じてやがんだ。
　なんて鼻持ちなんねーやつって思ったね。もっとも、やつは、いじめられたら黙っちゃいないだろう。これは絶対だ。確信もって言ってやる。やつはいじめられたら、倍返し。息の根を止めたりはしないだろうが、自分をいじめたやつが立ち直れなくなるくらいけちょんけちょんにやりかえすに決まってる。
　でもさ、最初はそんなこと知んないから、高等部が一ヶ月に一回小学部のガキンチョと一緒にオリエンテーリングをするって行事があるんだが、それで組まされただけなのに、ルイが『倫太郎お兄さん』ってなついてくんのは、可愛いって思ったんだ。そうして、気がつけば夏休みも間近だった。
　オレ兄弟いないからさ、ちょっとだけ弟っていうのに憧れがあったんだよな。
　だから、オレの顔を見かけただけで駆け寄ってくるあいつのこと、いつの間にか弟みたいな感じで相手してたんだと思う。
　もちろん、そこによこしまなものなんて、ひとっかけだってなかったさ。
　オレは、女の子が好きなの。
　だーれーが、なんと言ったって、クラスメイトの遊木也さんとか、後輩の岬ちゃんとか、ちょっとしたことで知り合った生徒会のおねーさまなんかに、胸をときめかせてたさ。そりゃあ、オレはもてないけどさぁ。彼女たちを見てるだけで幸せだった。それが、気がついたら、まず、おねーさまがやっぱ生徒会の会長とつきあいだしちゃってさ、次は岬ちゃんにボーイフレンドができただろ、で、クラスメイトの遊木也さんまで、知らない間にクラスメイトとくっついちまいやがってさ。あれよあれよっていう間だった。
　何でだ〜って思ったが、後の祭り。ああ、見てるだけでも良かったのになぁ。
　寂しい。
　そりゃ、ヤローのダチはたくさんいるけどさ、なんでだか、疎遠なんだった。
　で、気がついた。
　悪友と遊んでると、いつのまにかルイが混じってる回数が多くなったってことに―――――――――だ。
　そうすると、悪友がひとり減りふたり減り、気がつくとルイだけがニコニコ笑ってる。
　何でだよ―――――――――と、学校で訊いたら、『なーんかあいつってば苦手なんだよな』と、んな返事。
　『なつかれてるって思って、お守りしてやんな』とひらひらと手を振られた日には、脱力だ。
　そうして、オレは、ルイのやつに言ったんだ。



　いつものように悪友たちと帰ってると、私服に着替えたルイが、正門のところで待っていた。
　遠くに見えるのは、こいつのボディー・ガードだ。
　そうして、帰る道すがら、悪友どもがひとり減りふたり減り………。
『寄ってってくれるでしょ？』
　金色みたいな瞳がオレを見上げていた。
　学校からそう遠くはないところにある、豪勢なマンション。その最上階と下の階を丸ごと占領している。世界的に有名なマジシャンのひとり息子ともなれば、マンハッタンの高級マンションだろうがリゾート地の島のひとつやふたつだろうが、外国の城を移築しようが、なんだって手に入るのだろう。もちろん、母親が与えるのだが。それがなんでこんな学園都市のマンションよ？　と、首をひねると、警備上の理由でしょうと、さらりと言って退けてくれた。
　ともあれ、勝手知ったるって感じになった菅生家の居間の座り心地のいいソファからずり落ちて、毛足の長い絨毯の上に胡坐を組んだオレは、家政婦さんが出してくれたアイス・ティを一口すすってから、
『オレにだって、年相応の付き合いってーのがあるんだ』
と、言った。
　ちょっときついかなと思ったけど、これくらい言わないと通じないって思ったんだ。
　オレの正面に、菅生ルイの、きれーなツラがある。ブルー系統のパステルカラーのチェックの半そでシャツに、サスペンダーでつっているベージュの半ズボン。白のニーソックス。麻のカバーがかかったクッションの上に背もたれているルイの瞳が光線の加減か、きらりと光ったような気がした。
『だって、ヤなんだ』
『はい？』
　なにがヤなんだろうと首をかしげていると、
『僕、倫太郎お兄さんが、僕以外のひとと一緒にいるの、ヤなんです』
　そう続けやがったんだ。が、あまりにも突拍子のないことだったせいもあって、理解するまでに時間がかかった。
　ぼんやりと、ルイの台詞をあたまのなかで反芻していて、気がつけば、すぐ目の前に、ルイのきれーなツラがあった。
『っ！』
　不覚だ、不覚！　油断大敵火がぼーぼー。顔面が火事のように熱かった。
　相手が小学生とはいえ、お、男に、キスされたんだ。
　この顔の熱さは、恥ずかしさというより、怒りのはずだ。
　力まかせに、あいつを押しのけようとして伸ばした手を、固められた。
　どーやってんだか、オレよか十も年下の小学生が、がっちりと、オレの手を、掴んではなさない。
　薄めの整ったくちびるの隙間からのぞいた赤い舌が、ぺろりと、オレの、オレのくちびるを、舐めやがった。
　必死に手を引っ張り、口を押さえたが、もちろん、後の祭りだ。
『おまけです』
　ルイのヤツがしれっとほざいたが、う、うれしくない。ぜんぜん、まったく、うれしくない〜！
　ぷるぷると頭を振るオレに、
『倫太郎お兄さん可愛い』
　語尾にハートマークがついていそうな口調で、満面の笑みだった。
『もしかして、ファースト・キス？』
　もとより言葉もなかったが、ぐぅのねも出ないとはこのことだ。そんなオレに、
『倫太郎お兄さん愛しています』
　 と、ほざいた。 『もう、お兄さんは、僕のですからね。他のひとにキスさせたら、だめですよ』
　おままごとの台詞のようだが、まるっきり本気、現実の台詞だ。
『今日はお母さまに、素敵な報告ができます』
　そんな木っ端恥ずかしいことはやめろと、頭を振るが、
『心配しないでください。お母さまは、僕がとっくにお兄……倫太郎でいいですよね。倫太郎のこと好きだって知ってます』
　とんでもなく恐ろしいことを言う。
『僕と倫太郎のこと、お母さまは応援してくださってるんですよ』
　……それは、いったいどんな親だ〜!!!
　エクスクラメーションマークを大量に頭の中に発生させたオレが、もうこれ以上は限界だと脱力したのをいいコとに、ルイはまるでオレを熊のぬいぐるみみたいにぎゅうっと抱きしめた。



『ああ、あなたが、倫太郎ね。はじめまして。ルイの母、天雲百合子です』
　遠くから、通話口を通して音声が届く。
　背後にはざわめきと拍手歓声など、電話越しに伝わってくる。
　オレをぬいぐるみみたいに抱きつづけるのに疲れたのか、ルイが、電話をかけたのだ。
『ルイが自分から電話をかけるなんてこれまでなかったの。よっぽど優しいお兄さんと両想いになれたことが、うれしいのね。ルイの幸せはわたしの幸せなの。うれしいわ。これからも、どうかよろしくお願いしますね。じゃあ、まだステージがあるから。あわただしくてごめんなさい』
　忙しさもあるのだろうが、ひとの話を訊いていない。
　そうか、この親にしてこの子ありだったんだな――――――――――――
　息子によくも――――――とか言って、勘違いして訴えられるという心配だけは金輪際ないだろう。
　電話の内容を思い出して受話器を見つめているオレに、
『お母さまも、喜んでくださいました。僕はとっても、幸せです』
　背後から抱きつき、耳元でそうのたまうルイに、その日のオレは、もう反論する気力もなかった。
　結局は、それがいけなかったのだろう。あれから毎日、ヤツはオレを校門まで迎えに来る。
　一度すっぽかしたら、ボディー・ガードを総動員してオレを探させやがった。ゲーセンで悪友たちと遊んでいるときに、ぐるりと周囲を黒服に囲まれる恐怖とばつの悪さは、経験したやつでなければわからないに違いない。それ以来、オレは、おとなしく、ルイのしたいようにさせている。
　今日も、正門で、ヤツはオレを待っているのだろう。離れたところに、ボディー・ガードを従えて。
　この奇縁をいつかオレは断ち切ることができるだろうか。
　それを思えば、目の前が真っ暗になる。
　だから、だからオレは、ため息をつくのだ。
　　

おしまい
from 13:15 2010/07/18